王太子の結婚 06
朝からお互いの世話をしあって仲良く支度を終えたキャットとフィレンザは、カルロの車で結婚式の会場となる大聖堂へ着いた。
キャットはこの移動で、普段はともかくとして飾りのついた帽子を被っている時は天井が高いリムジンが乗降に便利だと知った。
車を降りてから大聖堂の入口までは歩いていくことになっていた。
キャットは直前まで白い顔で緊張していたが、待ち構えていた報道陣が後からやってくる国内外の賓客を撮影する準備に忙しく、自分達のような一般招待客のことはまるで相手にしていないと気付いて緊張をゆるめた。
フラッシュの光とシャッター音にはひととおり晒されたが、予想していたほど暴力的なものではなかった。
自分が注目されると思うなんて自意識過剰にも程があったと半ば照れながら、キャットは大聖堂の入口に着いた。
主だった招待客が来るまでにはまだずいぶんあったが、式場内で最後のリハーサルをする聖歌隊が贅沢なBGMを提供してくれた。
キャットは、自分の席は新婦の友人用に指定された一番祭壇から遠いブロックにあるのだろうと思っていたが、入口で案内されたのはカルロ達と同じ、ベンジングトン侯爵家の友人用ブロックだった。
キャットはアンの心遣いに感謝しながらフィレンザ達と一緒に式の開始を待つことになった。
侯爵家と家族ぐるみで付き合いのある招待客はお互いにも顔見知り以上の関係があるようで、良い席を確保し椅子から動かない少数以外は社交を優先し、そこかしこに輪を作り歓談に興じていた。
カルロとフィレンザが知り合いを見つけたので、キャットは邪魔にならないよう離れた隅の柱のところまで引いて背筋を伸ばした。
頭よりずっと高い位置にあるステンドグラスからの光が、キャットに降り注いでいた。
キャットのドレスは着ていることを忘れるくらい軽く、キャットの細い体をふんわりと包みこんでいた。
秋らしいこっくりしたオレンジ色でつやのないシルクは細かくプリーツがたたまれ、膝の上で花のように外側に広がっていた。
ドレスの丈と裾の広がりは絶妙なバランスで、そこから伸びるしなやかで健康的な曲線を引き立てた。(そのドレスとよく調和したマロンベージュのストラップ付きハイヒールが、テニスの練習でできた足首の靴下焼けを隠すために選ばれたデザインだと気付いた人はいなかった)
シルクは一般的に重厚なものが高級だと思われがちだが、そうとばかりは限らない。本当に高級なものの中には細い糸で織り上げた――ということは太い糸を使うのに比べて織り上げるまでに時間と手間がかかる――薄い生地もある。安い生地はその時間と手間を惜しんで織りが甘くなるからうすっぺらく感じるのだ。
このドレスに使われているのはもちろん前者だった。着ているキャットには分からなくても、見る目を持つ人には、キャットを後悔させたそのドレスの価値は正しく伝わった。
ドレスの上には深いオレンジ色のベルベットのボレロを着ていた。
ベルベットと羽根でできた揃いの小ぶりな帽子を被っているが、これは落ちないように見えない場所についたピンで留められていた。
帽子についた羽根を気にして上目遣いになったキャットの瞳は、目のすぐ上にかかる帽子の縁とフィレンザが引いたイタリア風のきっちりしたアイラインでいっそう強調され、そのいきいきとした輝きが際立っていた。
少女と女性の間にある、開きかけの蕾のような一瞬の魅力を形にしたのが今のキャットだった。
男女を問わず移ろいゆく時を愛する人はそれに気付き、目を留めてその姿を楽しんだ。
「チャールズ王子のガールフレンドが来てる。あの子よく見ると美人だな」
いとこの言葉で振り向いたリックは、通路を挟んで反対の壁際にいるキャットを見つけた。
自分のことを話されているのに気付いたかのように、キャットが視線をリック達に向けた。
嬉しそうにこちらに近づいてきたキャットを、リックは自分の方から大またに歩み寄って迎え、挨拶もなく言った。
「こっちに来るな」
「リック、いきなり何よっ」
キャットがむっとした顔でリックを見上げた。
普段ならリックはその呼び方を訂正するところだが、今日はそれも忘れキャットの瞳を難しい顔で見下ろした。
「一人で来たのか」
「違うよ。友達とお兄さんと一緒」
キャットが目線で連れを示した。リックはそちらに一瞬目をやってから、またキャットに向き直った。
「なら連れから離れるな。知らない男に話しかけられても相手をするな。誰かに俺の知り合いだと言われたら仲が悪いと言え」
頭ごなしに訳のわからないことを次々と言われたキャットは、不快さを隠さず訊いた。
「ねえ、何で私があなたにそんなこと命令されなくちゃいけないの?」
リックはしかめ面のキャットを黙って見つめ、それから渋々といった様子で口を開いた。
「……お前がよく化けてるから」
キャットは一瞬ぽかんとして、それから怒りと驚きと照れの混ざった複雑な表情を浮かべた。
「褒められてる気はしないけど一応ありがとう」
「褒めてないしお前のためじゃない。知らずにお前に近づいたら、相手が気の毒だからだ」
「テニスで負かされたりするから?」
キャットの挑むような笑顔と口調にリックは一瞬むっとした顔をみせたが、挑発にはのらなかった。
「中身は同じみたいだな」
決して仲が良くはないが、一年以上ネットを挟んで対峙してきたライバルとしてキャットを良く知るリックは、どこか安心したようにも見えた。
そのとき不意にキャットが本物の笑顔をひらめかせた。
「あのね。褒められてなくても私はさっきリックのこと格好いいと思ったからそう言うね。そのシャツとネクタイの組み合わせ、すっごくおしゃれだし、髪を上げたところも素敵」
今度複雑な表情を浮かべるのはリックの番だった。
「……そうやって思ったこと全部口にするのもやめろ」
リックが口にした忠告は、肝心の相手には届かなかった。
キャットは言いたいことを言って満足し、リックを置いてさっさとフィレンザのところへと戻ってしまった後だった。
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