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『理想のプロポーズ』と現実

本「右膝をついて申し込むのは基本だよね。あと、顔が見えないくらいの花束希望」
「貸切レストランで管弦楽の生演奏つき。デザートのお皿にエンゲージリング」
「夜景のきれいな場所。ヘリでナイトフライトとかクルーザーでナイトクルージングとかなら尚良し。相手によっては夜の観覧車程度でも手を打つ」
「動画サイトにアップされてるみたいなサプライズプロポーズは恥ずかしいな」
「自分で計画したプロポーズを撮影までしてるのってちょっとナルシストっぽくない? プロポーズの主役はどっちなのよって」
「私は友達があれだけ協力してくれるのっていい人なんだと思うけどなあ」
「私は二人だけの思い出の場所とか、彼の部屋とかで、もっとこじんまりした感じがいい」
「ええー? 一生に一度っていう特別な気合が欲しくないの?」
「そうだよ。やり直し効かないんだよ?」
「あ、でも私の従姉は、気に入らなくてやり直してもらったって言ってたよ」
「それって許されるの?」
「許されるんじゃない? その人と結婚したから」
 
 理想のプロポーズ――この家族の歴史から自分の夢まで、過去と未来を行き来しながらいつまででも話せそうなテーマを最初に友人の輪に投げ込んだ当のキャットは、黙々とメモを取るばかりで会話には参加していなかった。

 正確に言えば参加できなかった。
 皆が語る特別なシチュエーションもさほど珍しくはないし、プロポーズのやり直しどころか会う度に結婚しようと言われている……なんて口にしたら友達をなくしそうで。
 ましてや、そのことをちょっとつまらなく感じている……なんて、そんなこと絶対に言えない。
 
 彼は悪くない。
 悪いのは、彼女自身の心がけの方だ。

 顔が見えないくらいの花束も、貸切レストランの生演奏も、ナイトフライトやナイトクルージングも、彼女の恋人にとっては一生に一度という特別なものではなく、ちょっとしたサプライズとしてぱちんと指をならせば当たり前のように用意できる。それを責めるのは筋違いだ。
 チップからのプロポーズが一生に一度の申し出でなく『しつこいと思われないように一日一度』なのも、彼女が愛されているからこそだ。
 初めて『今すぐ結婚しよう』と言った時チップは明らかに本気ではなかったけれど、ふざけないでと言いながらキャットはどぎまぎしたし嬉しかったし、それから繰り返されるプロポーズにも決して悪い気はしていない。

 してはいないが、毎回ふざけたプロポーズを受け、毎回それを断るというお約束のやりとりがキャットが断るのを前提にしているのは明らかで、使い古されたジョークのようにそこから新鮮味が失われていくのは――
 
「キャットはどうしてそんなこと調べてるの?」
 キャットはびくりと身じろぎした。
 いつも一番答えにくい質問をするフェイスが今回もまた、キャットに一番訊いて欲しくないことを訊いた。
「とっ、友達に訊かれたの。女の子の理想のプロポーズってどんな風かって」
「友達って男? 誰に訊かれたの? 誰かのボーイフレンドから頼まれた?」
 フェイスほどの洞察力はないが、一番突っ込みの厳しいローズが目をきらりと光らせた。キャットはあわてて否定した。
「違うよ! ありがとう、参考になった!!」
 早口でいいわけをしたキャットは、背中に刺さる皆の視線を感じながらその場から逃げるように立ち去った。
 
 そんなことがあった次のデートの時。

 食事の後、ソファでくつろぎながらチップからいつもの言葉『今すぐ結婚しよう』を聞かされたキャットは、いつものように『今すぐは無理』と答えた後で、ちらりと恋人の様子を窺って視線をそらした。
 チップがキャットの頬を人差し指の背でくすぐって訊いた。
「どうしたの、ロビン?」
「何でもない」
 人差し指が頬から顎にすべり、チップの指先ひとつでキャットの顔は恋人に向けられた。
「何か言いたいことがあるんだろ? 最後には僕に言わされるんだから、今言っちゃえよ」
 これはチップが正しい。
 顔に出しておきながら口で何でもないとごまかして、言う言わないで揉めるのが二人でいる時間の浪費だということはキャットにも分かっていた。

「ほんのちょっとだけだよ? 本当にちょっとだけ思ったんだけど……毎回同じこと言われてると、習慣っぽくなるっていうか、惰性っぽくなるっていうか、そんな風にね」
 キャットは、自分でもどうしたいのかよく分からないまま、友達の話をきいてから胸に溜まっていたもやもやを言葉にしようと試みた。
 チップがキャットの顎から指を外し、肩を落として目を伏せた。
「君が嫌ならもうプロポーズはやめるよ」

 キャットは驚いて目をみはった。
 チップはすぐに顔を上げ、キャットを見つめて笑みを浮かべた。

「――って言われたら、君はちょっとショックを受けるだろう?
 だから習慣や惰性だと思われたとしても、僕は同じことを言い続けるよ」
 
 キャットは急に激しくなった動悸に自分で驚きながら、大きく頷いてチップに腕を回した。
「ごめんねフライディ、ひどいこと言って」
 自分が口にしたことの意味をキャットはやっと理解した。
 『もうプロポーズして欲しくない』のだと解釈されてもおかしくないことを、ろくに考えもせずに言ってしまった。そのくせ『もうプロポーズしない』と言われたらこんなに動揺している。
 キャットは別の意味でもショックを受けていた――自分が安定した関係に甘えきっていると気付いて。
 
 チップはキャットの頭を引き寄せ、こめかみに軽いキスをした。
「そんな顔をするなよ、大丈夫だよ。僕達はバディだろう?」
「ありがとう。……私、甘やかされてすごく贅沢になってたみたい。ごめんね。本当にごめんね」
 ちゃんと目をみて謝ろうと、顔を隠したい気持ちをこらえてキャットは顔を上げたまま言った。
「いいんだよ、君を甘やかしてるのは僕なんだから。でもね、」

 チップは人の悪そうな笑みを浮かべて、わざとキャットを腕の中に閉じ込め、自分の顔が見えないようにしてから耳元で続けた。

「僕が習慣や惰性でプロポーズしているのかどうかは、もう一度よく考えてみた方がいいと思うよ」
 
end.(2012/02/13)

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