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遅れてきた人魚姫 12

 トリクシーとメイが乗ったボートは、一隻のクルーザーに近づいていった。
 クルーザーのデッキで大きく両手を振る相手に、トリクシーが軽く手を挙げて応えた。
 ラダー(はしご)を上がったトリクシーは、待ち構えていた背の高い女性にしっかりと抱擁された。
 
 彼女は、運悪く船舶免許を持っていたために今回の計画に巻き込まれたトリクシーの友人ルイーズだった。
 トリクシーから「どうしても会わなくちゃいけない人がいるから協力して」と頼まれて船を出しアリバイ作りには協力したものの、詳しいことを何も知らされていなかったルイーズの心配は一晩で限界まで膨らんでいた。
 もっとも、トリクシーが水中スクーターを使って他国の王子のヨットに忍び込んだという事実は知らされなくて幸いだったといえるだろう。
 
「今度こそちゃんと説明してよ」
 トリクシーが戻って安心した反動で、ルイーズはややとげとげしい口調だった。
 行先の分からない友人を二日間ただ待つ間にルイーズは二重の心配を抱えていた。
 トリクシーが何かのトラブルで戻れなくなったのではないか。そしてもうひとつ。自分はトリクシーに全て打ち明けられるほど信頼されていないのではないかと。
「――これでまた『今はまだ言えない』なんて言ったらゴムボートごと置いていくからねっ」
 トリクシーは友達のしかめ面の奥の気持ちを読み取り、感謝の笑みを浮かべた。
「ありがとう。おかげで目的はほぼ果たせた」
「会えたの?」
「うん」
 トリクシーとルイーズはメイと一緒にゴムボートを引き揚げ、操縦席に移っていた。
 メイはキャビンで休んでいる。
 ルイーズはクルーザーのエンジンを始動し、チャンシリーの母港に舳先を向けた。
 
「それで、誰と会ってきたの?」
「メルシエのチャールズ王子」
 ルイーズの口が大きく開いた。
「チャールズ王子と知り合いだったのっ!?」
「ううん、初対面」
「じゃあどうやって」
「共通の知り合いがいたの」
 トリクシーはポーカーフェースを崩さなかった。
 たまたまキャットがトリクシーを覚えていたからよかったものの、銃を向けられ海上警備隊に通報されるところだったことは黙っていた。
 
 トリクシーはしばらく前からあの邂逅を計画していた。
 まずマリーナを見下ろす位置に住む知り合いの知り合いを探し当て、チャールズ王子のヨットが出港準備を始めたら教えてもらえるよう頼んだ。
 次に水中スクーターとゴムボートを用意して、いつでも使えるよう密かにメイと訓練した。
 この計画に付き合わせる不運な友人の第一候補はルイーズだったが、都合が悪かった時のために他にも数人の候補がいた。

 そうまでしてチャールズ王子に会おうとした最大の理由は、王族の中でただ一人彼だけは警護官がつかないというのが魅力だったからだ。
 女性には甘いという評判も加点ポイントだった。
 最初は恋人を守るためならトリクシーを海に投げ込むのも厭わないという態度だったが、散々文句を言いながらも手を貸してくれたのは、やはり評判が正しかったということだろう。
 兄王子とは正反対だ、とトリクシーは内心で毒を吐いた。
 
「でもどうして船の上で会わなくちゃいけなかったの? まさか、その」
 ルイーズが口ごもった。
 ちゃんと説明してよと迫ったわりに追及が甘いあたりで、トリクシーの計画にルイーズが引き込まれた理由がよく見て取れる。
 この人の良さはさっき別れた少女と共通するなと内心で思いながらトリクシーは答えた。
「伯父たちに知られたくなかったの。他国の王族と勝手に会ったことで変に勘ぐられたくなかったから」
「勘ぐるって、何を?」
「王族と結婚するつもりなんじゃないかって」
「そうなのっ!?」
 ルイーズがあまり驚いた顔をしたので、トリクシーは声を立てて笑った。
「違う。結婚する気ないし、もしそのつもりだったとしてもメルシエだけは選ばない。
 ……チャールズ王子に会ったのは、個人的な思い出の品を捜しに行くため」
「よかった」
 ルイーズが安心したように言った。友達の結婚話には敏感になるお年頃なのだ。
「それにチャールズ王子はガールフレンドのことが大好きらしいから、他の女性に興味はないと思うわよ」
 それを聞いてルイーズが嬉しそうに微笑んだ。
「やっぱりそうなのね。何かいいわよね、ガールフレンドが凄い美人じゃないとこがまた安心できるっていうか」
 何が安心できるのかよく分からないが、人の不幸より幸福を喜ぶところがルイーズらしい。
 
 そう思ったトリクシーだが、続いたルイーズの言葉で一気に不機嫌になった。
「美男美女のカップルっていうのも絵になっていいけどね。お兄さんのベネディクト王子は彼女作らないのかな。ゲイだって噂もあるみたいじゃない?」
 

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