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Between you and me(ここだけの話)

 ベンが謎の美女の足許にひざまずく姿を目撃されてから二日後。
 海を挟んだチャンシリー王室とメルシエ王室の両王宮で同時刻に、チャンシリー王国の王位継承権をもつミズ・ベアトリクス・エリザベス・モーガンとメルシエ王国王位継承順位第二位のベネディクト王子殿下の婚約が発表された。

 トリクシーは現王妃の姪であるもののチャンシリー王族の一員ではない。しかしチャンシリーの王位継承の仕組みが分かりにくいこともあり、多くのメディアは厳密な区別をせずにこの結婚は二国の王家が結びつくものであると報じた。しかも二人の間にあるのは政治ではなく愛だ、と。

 ベンとトリクシー(チャンシリーで報道される時にはトリクシーとベン)の婚約はロマンスを愛す人々の血を沸き立たせた。

 特に『あの』ベネディクト王子を跪かせた女性、という重たい肩書きを背負ったトリクシーは注目の的だった。
 婚約発表で提供された公式写真の他に、女官としてビアンカ王女に随行した時の画像や映像までがマスコミ各社の倉庫から掘り起こされ、ピントを修正し拡大して『秘蔵の』『初公開』のあおりつきで使われた。
 商機に聡いメルシエの旅行業者はチャンシリー群島をめぐるツアープランを立てはじめたというし、しるしの箱を模したチャンシリー産の組木の箱も入荷しては即完売の品切れ状態が続いている。アーマンド国王は笑いが止まらないだろう。

 そういった経緯から、ベンがトリクシーを兄弟たちに紹介する今日の茶会よりも先に、兄弟とその彼女たちは噂の謎の美女トリクシーについて多くを知っていた。
 しかし実際に会ってみなければ人柄までは分からない。ましてや相性までは。

「エドワード王子。以前お会いした時のことはきっと覚えていらっしゃらないでしょうね」
 兄の婚約者に微笑みかけられ、エドは固まった。
 トリクシーの、エキゾチックで印象的な容貌はエドの好みとは違うけれど美人だとは思う。
 けれどトリクシーの笑顔を、どこか信用できないように感じるのは何故なのか。ヘビに睨まれたカエルの気分になるのはどうしてなのか。 
「頭からガリガリ食べたりはしませんよ」
 エドは自分の考えを言い当てられてどきりとした。もし内心が顔に出ていたとしたら、兄の婚約者に対してこれほどの失礼はない。でもやっぱり怖い人だ。
 ……今まで並み居る美女を退けてきたベンが選んだのはこういう人だったのか、とエドは思った。

トリクシーは初対面の王太子夫妻とも如才なく会話し、チップのからかいに堂々と渡り合い、キャットに懐かれた。……ベンはいつものように無口だったけれど、いつものように会話の輪から外れそうになってはすかさずトリクシーに引き戻されていた。

 トリクシーは、あのカフェでの出来事をこの場の皆に自分の言葉で説明し終えたところだった。
 兄弟たちはベンの言葉足らずの説明では分からなかった背景を知り、あのしるしの箱はひざまづいて受け取るべきものだったと理解した。
 あの箱を贈られたことでベンはトリクシーの夫としての全ての権利とともに、チャンシリーの王の選定に加わる権利も得ていた。椅子に座ったまま冠を授かるなどありえない。それと同じだ。
 しかしトリクシーはそんなに大げさな受け渡しをするつもりはなかったのだとうそぶいた。
「あのコーヒー次はいつ飲めるかしら。気にいってたのに」
 嘆くトリクシーに、ベンは軽く肩をすくめて言った。
「バリスタに出張を頼めばいい」
「あなたの、簡単にそういうことを言うところ気にいらないわ」
 ベンは向けられた非難を聞き流し、トリクシーになにやら囁きかけた。返事の代わりに冷ややかな視線を送られてもベンは機嫌よく微笑んでいる。周囲はそれを暖かく見守っている。

 ともかくベンは婚約してから幸せそうだ。
 エドはそう思った。
 僕もそう見えるかな。
 エドは彼の左側に座る婚約者を横目で見て頬をゆるめた。

 エドがベスの部屋のバルコニーでプロポーズをして受け入れられたのは三か月ほど前のことだ。
 王位継承者であるエドの婚約は、国王と議会の承認をうけて正式なものとなる。現在エドは法案が審議される日を指折り数えて待っているところだ。
 ベンとトリクシーの電撃婚約ですっかり目立たなくなってしまったけれど、二人の婚約特集のムック本も出た。
 エドは献本されたムックを保存用に追加で購入していた。ベスマニアのエドとしては永久保存版と普段の閲覧用が欲しいし、将来は子ども達にも一冊ずつ配りたい。

 エドとベスの婚約が目立たないのはやむを得ない。二人の婚約は王室にとって深い意味があるのだが、一般臣民からみるとニュース性、つまり目新しさはない。
 メルシエ国民は二人のことを生まれる前から知っていて、初めて病院を出てきた時の姿から毎年の誕生日に更新された公式写真までが王室の公式サイトでいつでも閲覧できる。
 どこの誰かも分からない状態でいきなりプロポーズを目撃されたトリクシーの注目度に敵うわけはない。

 でもやっぱり心中は複雑なのかな、と、いつもより無口なベスを眺めつつエドは考えた。
 ベスはさっきからトリクシーとベンの様子をさりげなく観察しているようだ。

 ベスとトリクシーは表面上うまくいっているように見えた。
 魅力的な笑顔をうかべたトリクシーがエリザベスという名について触れ、名づけ子同士もっと親しくなれたら嬉しいとベスに言った時は、ベスも同じように社交的な笑顔で、エリザベス大叔母が生きていたらきっとこの婚約を喜んでくれただろうと答えた。
 しかし話題の中心をトリクシーにさらわれ、長年憧れを抱いていたベンをさらわれて、ベスは面白くないかもしれない。

 帰り道、ベスの家まで短い道のりを送っていったエドは、ベスに引き留められた。
 茶会が終わったばかりなので飲み物も食べ物もなしで二人は同じソファに隣り合って座り、そっと指をつないで心地よい沈黙を味わった。
 その沈黙を、ベスがさりげない問いかけで破った。
「叔父様たちは、ミス・ベアトリクスのことを何ておっしゃっているの?」
「彼女がどうというよりもまず、ベンは父と母からすごく怒られたみたいだよ。公式発表より前に一般の人たちが撮影したプロポーズの映像がアップされるなんて前代未聞だって。ベンは『あれはプロポーズじゃない』って言い訳してたけど」
 パブリシティ権にさほどうるさくないメルシエ王室も、さすがにあの動画に関しては放置できず見つけ次第削除要請をしているそうだが、もぐら叩きのもぐらのように違う方へ目を向けたとたんに復活するコピーを根絶できず担当者は頭を悩ませているらしい。
 エド自身も好奇心に負けてこっそり閲覧しているので根絶できない理由もよく分かる。結局のところ、見たい人がいるからアップする人がいるのだ。

「エドは彼女のことをどう思った?」
 重ねられた質問にエドは、ベスはこれが聞きたくて引きとめたんだなと思った。
 しかしいくらなんでも兄の婚約者を怖い人だと思った、とは言えない。
 エドは言葉を選んだ。
「きれいな人だよね。はきはきしてるし……でも何と言うか、まだ素顔が見えないっていうか」
「わかるわっ」
 ベスは思わずといった様子でそう口にして、さっと顔を赤くした。

 ベンは長い間ベスのアイドルだったのだ。きっとまだ……というところで、エドの考えはあまり良くない方に向かっていった。

「もしベンが」
 エドは勢い込んで言いかけ、急にぴたりと口を閉じた。ベスが続きをうながした。
「もし、何?」
「……チャンシリーに行ったらエリスは寂しい?」
 一瞬後、ベスは少し早口でエドの問いに答えた。
「もちろん、寂しいわ」
「僕は寂しいけど、ちょっと安心する」
 エドはベスが言い終えるのも待たず、彼女の方を見ないようにしながら言った。
「ベンを好きだったのは過去のことだって分かってるけど、やっぱりエリスが公務でベンのパートナーを務めるのは嬉しくなかったんだ」
 さっきの茶会ではアルコールは出なかった。
 にもかかわらず、いい人でいたい自分の裏側に隠れた本音がエドの口からぽろぽろとこぼれた。

 でも……と、エドは自分で自分に訴えた。
 これは本音だけれど、本音の全てじゃないんだ。

 ベスがベンに抱いている気持ちがどんなものであれ、エドはそれも含めて彼女を愛している。弟の目から見てもベンが魅力的だというのは分かるし、次々と気を変える女性よりも一途なベスは素敵だ。
 そう思うのもまた、エドにとっての真実だ。きれいごとが全部嘘なわけじゃない。
 頭の中ではそんな言葉がぐるぐるとまわっていたが、言い訳に聞こえそうで口にできなかった。

 エドはさっきの言葉がどう受け取られたか知るのが怖くて、ベスの方を見られなかった。

「ベンがチャンシリーに行ったらとても寂しくは思うけど、もしエドが地球の裏側に行くっていったら絶対についていくわ」
 ベスの言葉に、エドはおそるおそる視線を戻した。
 目が合ったとたん、何故かベスは急にうろたえた。
「もちろんあなたが嫌じゃなければ、だけど」
 エドは体がかあっと火照って、自分が真っ赤になっていることを意識した。ベスの方に半分向き直って、ベスの腕に手をかけて言った。
「ありがとう。さっきは僕、すごくつまらないことを訊いて、その、ごめん」
「私こそ、ごめんなさい。エドがさっきみたいに思ったのは、私のミス……トリクシーに対する態度がおかしかったせいでしょう?」
 ベスは言いにくそうに続けた。
「私ね。むかし彼女にひどいことをしたの。もう忘れてるかもしれないけど……何となく彼女は覚えているような気もするの」
「ひどいこと?」
 思わず訊き直したエドに、ベスが一度ためらい、それから一度深呼吸をしてやっと話し始めた。
「エリザベス大叔母様が亡くなる前にね。お見舞いに行ったら、他にも名づけ子が何人か来ていて……大叔母様の老眼鏡の話になって。年をとったらみんな眼鏡をかけるんだっていわれた時につい、眼鏡をかけるなんてみっともないから嫌だ、って言っちゃったの。眼鏡をかけた彼女の目の前で」
「ああ――」
 エドは何とも間の抜けた返事しかできなかった。

 彼自身は小さすぎてエリザベス大叔母が亡くなった時のことは覚えていないが、ベスだってまだ小学校に上がったくらいだった筈だ。
 そんな昔の出来事を覚えていていまだに気にしているのはきっと、真面目で心優しいベスくらいのものだろう。言われた方のトリクシーはもうとっくに忘れているのではないかとエドは思った。
「その時は何も言われなかったんだけど大叔母様の葬儀の時、お見舞いで一緒になった子たちがトリクシーが眼鏡をかけていないのに気付いたのよ。すごく申し訳なかったわ。もう会うことはないだろうと思っていたけど、まさかこんな風に再会するなんて……今更謝られても向こうも気まずいかもしれないとは思ったけど、謝りたくて二人きりになるタイミングを計っていたの。でも今日の会の主役が一人になるタイミングなんてなくて」
「また機会はあるよ。もうすぐ親戚になるんだし」
 エドはやっと慰めらしい言葉を口にできた。
 それに、もしトリクシーが覚えているとしても、小さい子どもが言ったことを恨んではいないだろう。
 ベスには言いにくい話をさせてしまったが、おかげでエドは茶会の途中から抱えていたもやもやした気持ちがすっかり晴れた。
 優しいベスの内心を疑った自分を今エドはひどく恥じていた。
「僕、エリスが彼女に妬いてるのかと誤解してた」
「妬いてたわよ?」
 ベスがいたずらっぽく言った。もう気まずい顔はしていない。

「私ね、いつかベンの恋人があの輪に加わるときは暖かく迎えて、昔の私みたいな疎外感をもたせないようにしてあげようと思っていたの。でも現れたトリクシーは堂々とベンを従えて、輪に加わるどころか自分の周りに輪を作っていたでしょう? あの姿を見ていたら、自分が地味でつまらない子だって思っていた頃のことを思い出してちょっと妬けたわ。チップと同じクラスだった時」
「――分かった!」
 ベスの話の途中で、エドがいきなり叫んだ。
 マナーとしては宜しくないが、たった今気付いた事実に興奮してそれどころではなかった。
「トリクシーって、チップに似てるんだよ! だから笑顔が嘘っぽく感じるんだ!」
 ベスは目を丸くして、それから声を立てて笑い出した。
「それって私たちの間では、決してほめ言葉じゃないわよね」
 エドが、彼には珍しい人の悪い笑みを浮かべた。
「うん、僕たちの間ではね。でも似てると思わない?」
「思うわ」
 二人はその相似のおかしみにひとしきり笑った。

 家族にも言えないことがお互いの間でだけは言い合える、そんな心地よい関係がいつからか二人の間にはできていた。
 目新しさの代わりに、お互いの過去も周囲をとりまく人々との関係もよく知った二人だけで通じる笑いと秘密を共有するパートナーシップ。

 ふと目を合わせれば、愛しさが胸からあふれ出す。
 エドがベスの、薬指に指輪がはまった左手をそっと両手で包んだ。
 あとは二人の間に言葉は要らなかった。

end.(2013/03/16)
 
※ちなみにトリクシーはベスの過去の発言をしっかり覚えてます。(心の閻魔帳に全て書き留めておくタイプ)

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