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マリッジ・グリーン 4

 四人はスタートラインに並んだ四台のカートに近づいて乗り込んだ。
 それぞれがシートベルトを装着し、アクセルに足を乗せてハンドルを握り、スタートのグリーンランプが点灯する瞬間を待つ。

 音と光の合図と共に四台は一斉にスタートした。
 先頭を切ったのはチップ、すぐ後ろにエドが続く。少し遅れてキャットが続いた。ベスも慎重にその後を追う。

 コーナーに入ったところで外側にふくらんだエドのカートがチップのカート後方に接触する。
 がつんと揺れたチップのカートはボウリングの玉のようにつるつると床を滑って外側の壁に後部をぶつけた。
 練習でさんざんクラッシュしたチップはすぐにハンドルを回してコースに戻ろうとしたが、その間にエドだけでなくキャットにも抜かされていた。
 慎重なハンドルさばきで横を通過しようとしているベスに、チップが笑いながら呼びかけた。
「僕達は練習の時もっとぶつけ合って慣れておくべきだったね」
「話しかけないで」
 突き放すベスにチップは構わず続ける。
「君も誰かにぶつけてみるといいよ。こんな感じで、ほら」
 言いながらチップは追いついたベスにカートの側面を軽く当て、自分の進路からどかす。
「信っじられない! チップ――」
「もたもたしてると周回遅れで後ろからトップに抜かれるよ。それも手だけどね」
 意味ありげな言葉を残してチップはコーナーを抜けていく。
 ベスは口の中で誰にも聞かせられない言葉を吐き出し、アクセルを強く踏み込んで憎らしいいとこの背中を追いかけた。

 キャットは器用に後ろを振り返り、迫ってくるチップを認めてハンドルを左右に回し蛇行運転で進路を妨害した。
「ロビン、君は誰の味方なんだ」
「今日はエド。なんだかフライディの邪魔をしたい気分なの」
「味方だった美女に裏切られるなんて、まるで映画の主人公になったみたいだよ!」
 エンジンの音に消されないよう叫び合いながら、チップは容赦なくキャットの背後につけて前にはみ出した角に自車をぶつけた。
 キャットのカートはくるりと反転し、笑うチップを正面からねめつけた。
「自分がいつも主人公だと思わないでねっ!」
「怒った顔もキュートだよ。お先に」
 人を怒らせる天賦の才をもつチップは置き去りにした恋人に投げキスを飛ばし、撃墜王をめざしてエドを追う。

 置き去りにされたキャットは目の据わったベスが迫ってくるのを見てあわててレースに戻ろうとした。
「キャット、どいてちょうだい」
「駄目だよ! 私ベスに勝つんだから」
「何としても私はあの憎らしいいとこに、この車をぶつけてやるのよ!」
 キャットは頭の中ですばやく計算した。
 敵の敵は味方。トップがコースを十周した時点でレースは終わる。ベスが先行してもチップとぶつけ合うならキャットにはまだベスを抜き返すチャンスはある。
「――でも駄目っ」
 キャットはコントロールを失わないようアクセルを調整してカートをコースへ戻す。
 ベスよりも先にコーナーに入り、テイルを滑らせながら出口へ向かった。
「今日はベスとは敵同士だから!」
 そう言ったキャットにコーナーで置いていかれたベスは目をぱちぱちさせた。
 彼女はちらりと斜め後ろを振り返り、先頭の二台と半周ほど差が空いたのを見て、また慎重にアクセルを踏み込んでコーナーの出口をめざした。

 スタートからトップを守っていたエドは、いきなり不快な衝撃を受けて車体のコントロールを失った。後ろから追い上げてきたチップに追突されたのだ。
 あっという間にコツを掴んだ兄の勘の良さに、エドは苛立ちをつのらせた。

 しかしエドはこういう事態を想定しての練習も積んでいた。
 アクセルを少し戻してハンドルを回し、チップが頭を突っ込もうとしたすきまを潰すように外側の壁にむけて幅をよせていく。
「このカートの悪いところは、バックミラーがついてないことだな」
 楽しげな声が、エドが寄ったのとは逆の側からエドにかけられる。
 まったくもってチップの言うとおりだが、素直に認めるのもしゃくにさわる。
「このカートの良いところは、腹の立つ相手をつきとばせることだと思うっ、よっ」
 エドは自分の首位を守るかわりに攻めの姿勢で大きくハンドルを切った。
 ぶつけられたチップのカートがコース内側の壁に接触して止まる。エドもまた反動で外側の壁に接触したが後悔はしていない。これこそがエドのやりたいことだった。
 エドがライバルに向かって猛々しく吠えた。
「ずっと、こうやってチップを突き回したいと思ってたよっ!」
 チップは手のひらでハンドルを回しながらちらりと後ろを確かめ、自分のカートが後続車の進路を塞がないよう少し端に避けてから吠え返した。
「ああ僕もだ! よくも僕の恋人をあちこち連れ回してくれたなっ!」
 コースの端と端で威嚇しあう兄弟の真ん中を、キャットがすうっと横切った。
「いっちばーん」
 得意気に言い去るキャットを追いかけるようにチップが走り出した。
 その背中を睨みつけエドが少し遅れて追った。

 三人が追い追われるコースの先に、周回遅れでのろのろと走るベスの後ろ姿が見えてきた。
 キャットはベスを避けるよう、コースのやや内側寄りに進路を変えた。チップがすぐ後を追いかける。
 ベスの顔がこちらを向いた気がした。
 キャットが横を抜ける直前、ベスのカートは大きく真横を向いた。
「うわわっ!」
 キャットは頭からベスのカートの横腹に突っ込んだ。そのキャットに後ろからチップが追突した。
 ビリヤードの玉のように三台のカートがコースに見事に散らばる。

 追いついたエドはまず婚約者の安否を気遣う。
「エリザベス!」
「エドは行って!」
 ベスの目はただ一人エドを見つめていた。
 エドは頷いて障害物を避けゴールを目指す。

「大丈夫、ベス?」
 一番遠くまで飛ばされたベスにキャットが呼びかけた。
 ベスは朗らかに答えた。
「気分は最高よ。憎らしいいとこと敵を妨害できたんですもの」
 チップが声をあげて笑った。
「僕らの先祖が平和主義者じゃなかったのは歴史が証明するとおりだが、君とは確かな血の繋がりを感じるよ。君といとこで嬉しいよベス」
「私はちっとも嬉しくないわ」
 憎々しげに言い返されたチップは、急に芝居がかった仕草で安っぽい天井板を見上げて言った。
「ああ、我が初恋の薔薇は未だ鋭く僕の胸を刺す!」
 キャットは釣り上げられた魚のように口をぱくぱくさせた。
 ベスはうろたえてキャットとにやにやするチップを交互に見つめ、大きく息を吸って叫んだ。
「あなたのそういうところ、大っ嫌いよっ!」
 ベスは顔を真っ赤にしてハンドルを回し、アクセルを踏み込んでレースに戻った。
「ロビン、どうぞお先に」
 チップは片手を挙げてコースを指し、キャットに再スタートを促す。
「――後で色々訊くからねっ」
「もちろんだ。何でも訊いてくれ」
 キャットの後ろ姿を愛しげに見つめてから、かなりの先行を許したエドの現在位置を横目で確かめチップもアクセルを踏み込んだ。

 このままエドが逃げ切るかと思われたレースは、ラップを重ねるごとに先頭車両が入れ替わる混戦となり続いていた。

 単独クラッシュに複合クラッシュが重なってキャットとベスはもう自分が何周したのか分からない。
 ともかく周回遅れだったベスに後ろから抜かれない限りキャットの勝利は堅かった。

 エドとチップはさすがに自分の周回数を覚えていたが、抜きつ抜かれつを繰り返しているので最後までどちらが先にゴールするかは分からない。

 ベスとキャットから妨害をうけないよう、チップは前を行く時も後ろを追う時もエドとあまり離れないようにしていた。
 お互い余裕があれば車体をぶつけあって嫌がらせをするのも忘れていない。

「エリザベスの仇だっ」
「いつまでもしつこいんだよっ、自分の婚約者をどう扱おうと僕の勝手だろっ」
「大事にできないならっ、婚約なんかしなければよかったんだっ」
「ベスだって僕を大事にしてなかったぞっ」
「そんなの自業自得じゃないかっ」
「お前なんかゴクとマゴクに齧られろっ」

 いつの間にか兄弟王子のレースの目的はお互いを罵って車体をぶつけることになっていた。
 どちらもこの機会を逃せばもう二度と本音(と車)をぶつけあう機会はないかもしれないと思うのか、単純に自分がやられたところで終わるのが嫌なのか。
 邪魔をし合う二人の走行ラインは子供の落書きのようにぐねぐねと無駄に延びていた。

 二人に追いついてすり抜けできるコースを捜すキャットもまた、この諍いと無関係ではいられなかった。
「ロビン、知らんぷりで通り過ぎるつもりか?」 
 責めるチップに、キャットは部外者の顔で冷静に指摘した。
「二人とも山羊が角突き合いしてるみたいだよ」
 そんなことを言えばどうなるか、キャットももういい加減に覚えてもいいころなのだが。
「人を悪しきものみたいに言うなよ」
「そんなこと言ってないでしょうっ――もうっ」
 荒ぶるチップにぶつけられキャットが憤慨して声をあげた。その横をすいっと通る影がある。
「あっ!!」
 チップとキャットの声が重なった。

 低次元の争いから先に抜け出したのはエドだった。
 ゴールラインまで、エドを邪魔するものはもう誰もいなかった。

 我に返ったキャットはライバルの姿を捜す。
 エドの走行ラインをなぞるようにベスがキャット達の横を通過し二人を抜いていった。
「もおおおっ、フライディのせいだからねっ!」
 キャットは取り乱して叫び、ベスを追って走り出した。
 チップは後ろからキャットを呼び止めようとし……ファンファーレにその声をかき消された。

 さっきまで流行の曲を大音量で流していたスピーカーから、録音された音声がゼッケンナンバー4が一着でゴールしたとアナウンスした。
 勝負には負けたがレースを存分に楽しんだチップは、にやにやしながら皆の待つゴールをめざした。

「フライディのばかっ!」
 チップを迎えた恋人の第一声はそれだった。
 ちょんとつつけば泣き出しそうな顔をしている。

 そのキャットに、チップは人の悪そうな笑顔を返した。
「馬鹿呼ばわりした僕から指摘されるのはしゃくだろうけど君の勝ちだよ、ロビン」
 キャットが目を丸くした。
「ベスが周回遅れだったの、君は忘れてるだろう」
 チップの言葉を理解したキャットの表情がぱあっと明るくなった。
 両手を高く上げてぴょんぴょんと跳ね、キャットは心から叫んだ。
「やったぁーっ! やったぁーっ!!」
 その様子を目を細めて愛しげに眺めるチップに、エドがベスを腕に抱いて近づいてきた。
「僕の勝ちだ」
 エドはチップが今まで一度も見たことのない、自信に満ちた顔で宣言した。
「うん、お前の勝ちだ」
 チップはからかいも、まぜっかえしもせず素直に負けを認めた。
 この晴れやかな二人の姿だけを見れば、ついさっきまで罵り合っていたとは誰も信じないだろう。

「僕の弟は誠実で、温和で、必要な時は勇敢にもなれる男だ。エドと結婚する君は幸せ者だ」
 エドに腕を回されたベスは、義理の兄となるいとこの言葉に頬を染め、小さく頷いて目を伏せた。
 婚約者に身を寄せられたエドの腕に、ぐっと力がこもった。

 まるで幸せという題をつけた絵のような二人を眩しげに見たチップは、その後ろで跳ねまわっている恋人に笑いながら声をかけた。

「おーいロビン、僕を山羊呼ばわりしたけど、君だって子山羊みたいに跳ね回ってるじゃないか!」
 

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