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行こう、城塞都市! 入城まで

 ある日、いつもの人の悪そうな笑顔を浮かべたチップが言った。
「ねえロビン、馬には乗れる?」
 言われた方のロビンことキャットはうなずいて答えた。
「馬術競技はやったことないけどフリーライディングだったら大丈夫。また何か頼まれたの? 今度は馬? 何キロくらい?」

 かつて週末の遠出のついでにほんの十キロほどマラソンを走らされた彼女がそう予測するのも無理はなかった。しかし腹を立てるでもなくこう答えられるのは生来の善良さと運動を苦手としない身体能力、それに加えて恋人の役に立てることがあれば何でもしたいというけなげな恋心があるからだ。
 付き合う相手によっては都合のいい女として利用されかねないが、チップが彼女を都合のいい女などというポジションに据えるはずもない、むしろ彼女に都合のいい男として全力で利用されたいと思っているのでそこは問題とならない。
 そして当然チップの話には先があった。

「ファインアファインの友人が手伝うイベントに僕と一緒に参加しないかと思って」
「ファインアファインってあのいつも変なTシャツ買ってくるとこだよね?」

 一般的には『感じの良い姻戚(いんせき)』を意味するであろうその名前は、この場合『いい感じの擬似空間』くらいの意味になる。つまりチップが参加している数学マニアのサークル名だ。

 初めて聞いたときキャットはだじゃれっぽくて微妙、と思った。あまりスタイリッシュなクラブ名だとみんな入りにくいだろ、と付け加えたチップはその微妙さを認識しつつ許容しているらしい。

「活動費捻出のための物販に協力してるんであって、Tシャツを買いに行っているわけではないんだけど」
「でも好きでしょ」
「否定はしないな」
 チップがにやりとした。
 ミーティングに出かけてはキャットにMath Jokes(数学的なジョーク)とよばれる、数学好きでなければ理解できなかったり、理解できてもちっとも面白いと思えないジョークをデザインしたシャツをお土産にするチップは結局そういったゆるい内輪ネタが気に入っているのだろう。
 彼が軍隊や数学サークルといったやや閉鎖的な体質の集団の一員となることを好むのは、生まれてからずっと特別扱いされてきた反動なのではないかとキャットは感じている。
 それはともかくとして。

「なんで数学と馬が関係するの? 馬力計算でもするの?」
「いや、移動手段だよ。今回のイベントはテーマパークで開催されるんだけど、そこは中世の城塞(じょうさい)都市を模しているんだ」
「面白そう!」
 聞いたとたん目を輝かせたキャットを見て、チップは笑みを深くした。
「移動手段としても借りられるし、馬の世話ができると引き受けられる仕事が増えるから楽しみにしているといいよ」
「うん、任せて」

 チップは実はほんのちょっぴり『恋人にダクトテープみたいにべったり貼りついて乗馬を教える』夢に破れたがっかりを感じていたが、上手にその気持ちを隠し通した。もちろん馬もらくらく乗りこなしてしまう相棒(バディ)の頼もしさを愛おしく思う気持ちの方が何倍も大きい。それに、いつでもどこでも彼女となら楽しい時間が過ごせるのは間違いようのない事実だが、とくに今回は彼女の何でも面白がるポジティブさが必要だろうと思えた。

* * *

 テーマパーク『中世の城塞オルチャミベリー』への入園、否、入城管理にはその名前に反して近未来的技術が使われていた。

「あらかじめ申告のあった医療機器以外のPC、スマートフォン、カメラ、ビデオ、電子辞書など電気を使う機器に関してはここより先、都市内での使用が認められておりません。退城までここにお預けください。機械式時計に関しては持ち込みが可能ですが、アラームは止めていただけるようお願いします。
 その他お荷物をお預けになる場合、ご返却時の本人確認のため虹彩認証、静脈認証、声紋認証、パスワード登録、署名の中から二種を組み合わせて登録していただきます」
「ずいぶん精度に差がある方法から選ぶんだね」
 物言いをつけるつもりではなく純粋に不思議に思ったチップの言葉に、中世風ファッションに身を包んだ女性キャストがよどみなく応えた。
「機械が苦手な方や雰囲気を大切にしたい方もいらっしゃいますから。見えない場所に預けるのが不安だという方には使用料に加えて保証金を預けていただくことでこちらの錠付き長持のレンタルも可能です。ただし町の中で解錠できないよう鍵をこちらでお預かりし、機械本体の電源を切っていただく条件でのご利用となります。なおご返却の際に箱本体や錠に故意の破壊が認められた場合には保証金を修理代に充当させていただきます」
 チップ達ふたりは鍵付き長持を借り、電気機器を静電気防止緩衝材に包んで収納し、鍵を預けた。
「もしも漏電などで中に入れた機械のアラームが鳴り出したら?」
「長持をこちらにお持ち頂けば中途解約のかたちで解錠は可能です。過去には毎日レンタル契約をし直された方もいらっしゃいましたが、かなり使用料がかさみますのであまりおすすめはいたしません」
「緊急連絡が入っていないか確認したかったのかな」
「ゲームのログインボーナスを受け取るためだったようですね。滞在中の園外からの連絡に関しては、こちらのビジターセンターでいったん預かり、宿や集会所にいらしたときに伝言を受け取るかたちになります」

 いつでもどこでもすぐ連絡がとれる環境に慣れた人にとってはもどかしい仕組みだろう。が、アウトドア活動やへき地への旅に慣れた人にとってはなかなか親切にできている。モバイル機器が当たり前になる前はどこでもこうだったはずだ。

 長持は手持ちするには大きく重いので、無料で使える手押し車を貸してくれるという。都市内では自由に使え、貸出返却スポットで返したり、また借りたりできるというショッピングカート方式だ。
 その他、事前に注文していた着替えと都市内でだけ流通するコインの入った財布がわりの革袋を受け取り、羊皮紙風の紙に焼き印で文面が記された預かり証もたたんで一緒にしまう。

 入園料に含まれる基本装備は男性も女性も頭巾と一番上に着るずるずると長いガウンのふたつのレンタルだけだが、遊びに真剣なふたりは別料金で服一式をレンタルしていた。
 チップはウールのズボンとシャツ、キャットは同じくウールのワンピースと紐で絞るベストに着替えた。これを着たおかげで裾を引きずるようなマントは短いものに変えられている。

「可愛いなあ! 君は被りものが本当によく似合う。額にかかる影で瞳の輝きが一層強調されてすごく可愛い。さらにそのふんわりとしたガウンとワンピースの組合せがいいね。大人になった『赤ずきん』って感じかな」
「すごく民族舞踏団っぽいよね、自分でも思う」
 決して不美人ではないキャットだが、近寄りがたい高貴さや気品といったものは備わっていない。姿勢の良さと締まった身体でどんな服もそれなりには着られるのだが、どこか素朴さが感じられる服の方が似合うことは否定できなかった。
「フライディは何着ても似合ってなんかちょっとずるい」
 ほんのちょっぴり不満を込めてキャットは恋人を責めた。
 他人より多く持てる者として人に羨まれることに慣れたチップは余裕をもって返した。
「僕という存在は着ているものくらいじゃ揺るがないからさ」
「さすが、真鍮(しんちゅう)製だね」
 さりげなく面の皮が厚いと言われたチップは真鍮製かどうか確かめてみろとばかりに恋人をぎゅうぎゅう抱きしめて悲鳴をあげさせた。
「もう、ごめんてばフライディ。ほら、入り口あっちみたいだよ」
 笑いながら頭巾ごしに見上げた視線に撃ち抜かれた恋人のことは捨ておいて、キャットが恋人の腕から逃れて手押し車の持ち手を握った。
「僕が押していくよ」
「ううん、大丈夫!」
 大丈夫じゃなくてやりたいだろ、という突っ込みを控えてチップは駆け足に近い恋人のあとを大きな歩幅で急がず追いかけ、門番の前で追い付いた。

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