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行こう、城塞都市! 入城から宿へ

 手に長い木の槍を持った門番がふたりに言った。
「オルチャミベリーへようこそ。ここへ来るのは初めてか。身分証を持っているか」
「いいえ、初めてです」
「身分証のない者は入城に一リーブラ、銀貨一枚かかる。これは身分証を手に入れても返却されないが、このあと役場で登録をすれば無料で仮の身分証が作れる。次に来たときはそれを提示するだけでいい」
 説明を聞く二人の目の前で、リピーターらしき入園客がこれみよがしに革紐をつけた金属製のプレートを提示して門番のうなずきひとつで門をくぐっていった。
 なるほどこれは心をくすぐる演出だ。

「役場への行き方を教えてもらえますか」
「身分証を作るだけなら門をくぐってすぐ左手の建物だ。身分証ができたら、広場にある集会所に掲示された、町の中でできる手伝いをいくつか引き受けてほしい。その成果によって市民としての本登録が認められる」
「分かりました。ついでに宿屋の場所は?」
「まっすぐ行って四本目の辻の左右が宿屋通りだよ。曲がらずに真っ直ぐにいくと突き当りが広場だ」
 ふたりは門番に銀貨を支払い、礼をいってアーチ型の門をくぐった。

 わくわくした顔のキャットが隣のチップを見上げた。
「身分証作りに行く?」
「はやる気持ちはわかるけど、まずは荷物を置きに宿へ行こう」
「チェックインには早くない?」
「時間は決まってなかったと思うけど」
 そう言ったチップは無意識に腕を上げ腕時計の盤面を見ようとし、嬉しそうに叫んだ。
「わお! 見たかいロビン。これが文明にスポイルされた男の姿だ」
「笑わせないでよフライディ」
 無人島でいきいきと原始的採取に勤しんでいたチップの姿を知っているキャットはのってくれなかった。
 もちろんそれで終わるチップではない。そのまま上げた腕を伸ばし、空に向けた手を開いた。
「でもこんな時に役立ついい方法がある。指を使った簡単な時間の計り方だ。ようこそ、フライディのサバイバル講座へ」
 低い鐘の音が三度響き、最後に長く余韻を残した。四半時鐘だ。
「普通に時報あったね」
「あ、うん。そうだね。四十五分か」
 さっき聞いた、道の先の広場に鐘楼があるのだろう。
「ここのは誰かが下でロープ引っ張ってるのかな」
「ゼンマイじかけだったら電気がいらないから手動とは限らないかな。鐘つきはわりと重労働だし。いつ鳴らすかは聖句でも唱えて計ってるのかもしれないけど」
 実際のところこの鐘楼の鐘は手動で鳴らされているが、定時は時計で計っている。
 錘(おも)りで稼働する機械式時計は中世の終わり頃から存在していたので、この町でも広場や主要な施設には大型の箱時計が設置されている。

 響くのは鐘の音の余韻ばかりではない。手押し車の上で長持はがたがたごとごとと跳ねているし木製の車輪が石畳を転がる音、キイキイと何かがこすれる音は耳にさわる。
 入園した客たちの興奮したざわめきと、通り沿いに並んだ店の呼び込み口上、物売りの声、それにどこからか馬のいななきも聞こえる。
 中世風とはいっても曲がりなりにも都市を模した場所だ。電気と自動車がなくてもあれこれの物音は壁にぶつかって反響し、人が集まる場所ならではの生活音として町を満たしていた。

 しばらく進むと宿屋通りの十字路があった。角を曲がると通りの両側に大小の宿が軒を連ねている。

「どの宿?」
 チップがぺろりと告げた。
「ゾシモスオブパノポリス」
「ゾ?」
 キャットが聞き返そうとして固まった。
「古代ギリシャの錬金術師の名前にちなんだホテルみたいだね」
「もっと簡単な名前つけても良くない?! 良くない?!」
「そうは言っても勝手にZ.O.P.とか略すわけにもいかないだろう? 薬の名前みたいになるし」
「ううう、分かってたけどちょっと面倒くさいかも。一人で迷子になったらどうしよう」
 この先ぜんぶの店が錬金術にちなんだややこしい名前を名乗っていたらどうしようかというキャットの心配は幸いにしてすぐ解消した。
 このテーマパークはややファンタジーに寄せた中世風で作られている。
 つまり現代より識字率が低いと想定されていて、そんな町中で使われるのは書き言葉ではなく絵看板が主だったのだ。
 ホテルの壁から道に突きだしているのは、ベッドの上に子供の落書きのような蒸留器が描かれた看板だった。
「とりあえず、あの看板を覚えておけば大丈夫かな」
「うん、何とかなりそう」

 小さく濁ったガラスがはまった重たい扉を開けると、暗い部屋の奥に座っていた宿の亭主が立ち上がって客を出迎えた。
「泊まり客か。トークンはあるか?」

 識字率が低いはずの中世で宿泊客たちが宿帳に現住所や長々とした本名をさらさらと記入するのはおかしい……というロールプレイと旅館業法や消防法の遵守を両立させるために町で使われるのがトークンだ。
 つまりは宿泊手続きを入園前の『現代パート』で済ませているのでここでのやりとりはロールプレイの一環になる。
「これのことかな」
 チップは宿の看板と同じ蒸留器の絵が刻まれた、硬貨よりふたまわりほど大きな丸い金属板を二枚、亭主に差し出した。
「ああ、これ一枚で二人部屋に一晩泊まれる。食事は別料金になるが夕飯と朝食の時間に食堂が開く。アルコールの提供はしていない。飲みたければ外に行ってくれ。バスルームは付いているが湯は使いすぎないように。部屋には灯りがないから、錬金術で点したランプを持っていけ」
 亭主は丸いオレンジ色の明かりの横に飛び出した取っ手をこちらに向けた。
「いやこれ電……」
「錬金術だ。ちなみに分解なんかすると買取になる。高いぞ」
 あくまで錬金術ランプとして押し通すらしい。化学反応で電流を発生させる仕組みを錬金術のくくりとするなら間違ってはいないが。さすが『錬金術城塞(オルチャミベリー)』を名乗るだけある。
「分かりました」
「部屋はこのドアを出た廊下添い、一番奥の部屋だ。部屋での煮炊きと錬金術ランプ以外の灯りは禁止だ」
 二人は自分で荷物を持って言われたとおりに部屋へ向かった。
「ねえ、中世って言ってもぜんぜん便利じゃない? 自分でいろいろしなくてもいいし、お湯も出るし」
「そうだね。アウトドアキャンプとかと一緒で不自由を楽しむのが目的なのかと思ってたけど、ある程度は商業的な妥協もあるみたいだ。現実的な話をすると強い電磁波を発生させる機械以外は使用できるらしいから、お湯は機械式の真空ポンプで送っているのかな」
「錬金術のランプ」
 キャットがそう言ってからくくくと声を潜めて笑った。改めておかしくなったらしい。
「ケミカルライト(サイリウム)の方がより錬金術的だと思うけど、グリーンケミストリー(環境にやさしい)とはいいがたいからね」

 客室は木の床に漆喰(しっくい)の壁と天井、ベッドと壁際に寄せられた机、椅子が二脚置かれた簡素な部屋だった。
 違和感があるとすれば窓にガラスの代わりに薄い革が張られていることや、テレビやポット、照明といった電気機器がないことだろうか。
「フライディ、早く行こう。すぐ行こう」
 チップは整えられたベッドを手で押して干し草が使われていることを確認し、満足げに微笑んだ。
「分かってるよ。今行く」

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