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行こう、城塞都市! 伝令使見習い

 そのままサラとキャットはロールプレイなしの会話を続けた。サラがもともとは普通の会社員だったが趣味が嵩じて引退馬スノウのオーナーになったこと、馬にかかる経費を稼ぐために仕事を増やして肝心の馬に乗る時間がとれなくなってしまったことなどを聞いた。
「そんなときにここの求人を見つけてね。自分の馬を持ち込めて、餌代は負担してもらえるし預かり料もかからないから、収入はかなり減ったけどそれでもやっていけてるの。コーヒーブレイクがとれないのはちょっと辛いけど」
「忙しいの?」
「コーヒーがないのよ」
 サラは笑いながら言った。
「どうしても飲みたくなったらどうするの?」
「密輸業者から仕入れて家でこっそり飲むのよ」
 いたずらっぽい表情のサラが本当のことを言っているのか冗談なのか、キャットには判断がつかなかった。
 四半時鐘が聞こえてきた。
「いけない、少し急ぎましょう」
 サラが速歩(はやあし)に切り替えた。キャットもお腹を脚ではさみファンに合図を送る。
 サラブレッドのスノウの軽快な走りと比べると中間種のファンの走りは無骨だったが、どっしりとして頼もしくもある。キャットは自分を乗せてくれたファンをひいき目で見た。

 ふたりが最初に着いたのはパークとしての入城門とは別の、関係者用の通用門だった。
 サラは馬を止め、手綱を横木に結んだ。キャットも馬を降りて手綱を持つ。
「こんにちは。仕事はある?」
「やあ、伝言と荷物を頼む」
 番小屋から、荷物を積んだ手押し車と一緒に門番が出てきた。
 積まれた荷物のいくつかにはキャットにも馴染みのある大手業者の配達伝票が貼られている。確かに配達業者のトラックが城塞都市内に入れない以上、誰かが荷物を配達する必要があった。
「これはジョージたちに。こっちはロンのいつもの弁当だ」
 サラは渡された荷物を馬の腰に載せたサドルバックに振り分けた。入りきらない分はキャットのサドルバックにも収められる。細く筒状に丸めた書類らしきものはサラがサーコートの懐にしまった丈夫な革製の蓋つきケースに収める。
「じゃあ良い一日を」
 サラが挨拶をして馬にまたがった。キャットも続く。
 馬専用道路を再び常歩で進む。四半時鐘が二度鳴る頃、柵から乗り出して手を振る人の姿が見えた。
「あそこでちょっと止まるわ」
 サラはそう言って道の端に寄った。キャットも続く。
「はい、お弁当」
 どうやら彼がロンらしい。
 馬専用道路は低く掘り下げられているため、馬上のサラと歩道にいる男性は目の高さが同じくらいになっている。サラが荷物の一番上に載せていた包みを手渡した。
「ありがとう」
「またね」
 その後もサラは待っていた何人かに柵越しに荷物を渡したり、今日はまだ届いていないと断ったり、キャットに預けた荷物を渡すよう指示したりと、何度か止まりながら仕事を遂行していた。
「意外と忙しいでしょ」
「うん、思ったより」
「こっちのルートは通用門から回るから住人向けの荷物が多くなるの。次は正門だから、荷物より伝言が主ね。この仕事で一番の見せ場だけど、見習いはひとことだけだから緊張しなくて大丈夫」
 そう聞いている間に正門が見えてきた。門をくぐったばかりの客たちが珍しそうに馬上のふたりを見ている。
 サラが馬の脚を止めた。キャットもくつわを並べる。

「報告! オルチャミベリー市参事会よりの定期伝令! 正伝令使サラと」
 声を張った伝令の口上に、何事かとばかりに入園客たちは聞き入った。間をあけずキャットが続ける。
「伝令使見習いキャットより」
 後の台詞はサラが引き受けた。
「テッラ門に伝える。城内平穏なり!」

 ここ以外のテーマパークなら一斉にスマホやビデオカメラが向けられる場面だが、電子機器の持ち込めないここオルチャミベリーでは自分の目と耳で記憶するしかない。口上を噛んでしまったとしてもその場限りというのはキャットの緊張をかなり和らげてくれた。それも無事終わり、後はキャットも観客のひとりとしてその場でのやりとりを見守った。

「お役目ご苦労。門番テッドが承った。テッラ門よりオルチャミベリー市参事会へ伝える。テッラ門に異常なし」
「復唱、テッラ門に異常なしと市参事会に伝令!」
 自分の出番が終わったキャットは肩の力が抜けていたが、サラは表情を引き締めたまま門番と書類の受け渡しをしていた。
 凛とした姿のままサラが出発の合図をした。キャットも続く。

 馬専用道路に入って少ししたところで、サラが振り向いてキャットが並ぶのを待った。その顔はもう素に戻っていた。
「どうだった?」
「サラ格好良かった! スノウも格好良かった!」
 キャットは自分が乗ったファンをひいきしてはいたが、やはり白毛のサラブレッドに乗り正伝令使の名乗りをあげたサラの姿は映画のワンシーンのように決まっていた。時代考証に合わないことにも目をつぶる価値はあった。
「ありがとう。キャットもちゃんと声が出てたし、ファンをしっかり留めてて上手だった。ファンはもともといい子なんだけど、馬と乗り手によってはあそこで止まってられなくてうろうろしちゃって大変なこともあるの」
「ああ、わかる」
 キャットは自分の名前を聞いてこちらに片耳を向けたファンの首をなでてあげた。
「立派だったよ、ファン。お役目ご苦労さま」
 ファンが嬉しそうに鼻を鳴らした。
「パフォーマンス自体は来場客へのサービスなんだけど、ビジターセンターからの伝言を定期的に取りに行くのは欠かせない仕事なのよ」
「そうだよね」
 なにせ城外からの唯一の連絡手段だ。これは個人情報が含まれるので見習いには預けられないと言われていたし、キャットもそんなに大事なものを預かりたくはなかった。
「あとは無事伝令所に戻れば終了」
「はい」
 馬専用道路と歩道を隔てる木製の柵の向こうには、派手な衣装を着た馬上のふたりを興味深そうに眺める人の姿もある。キャットは立派な伝令使見習いらしくお役目を全うすることにした。

 さて、一方オスカーと一緒に回ることになったチップはと言えば。
 仕事についての説明を受けてからオスカーと並んで馬専用道路を壁沿いに右回りに進むチップは、隣に並んだオスカーから何度かもの言いたげな視線を感じていた。
「あのう、チャールズ王子」
 何度目かのためらいの後、オスカーがチップを敬称つきで呼んだ。
 チップは笑顔を作って答えた。
「おっと、『都市の空気は自由にする』んじゃなかったっけ。城門をくぐる時に肩書は置いてきたんだ。できれば見習いのチップと呼んで欲しい」
「あっ……すみません、その、ひとことお礼が言いたくて」
「お礼?」
「ファインアファインの」
 オスカーのその言葉で、チップは余所行きの王子らしい笑顔から普段用の顔つきに戻った。オスカーがファインアファインについて知っているのなら、チップがメルシエのチャールズ王子だと知っているのも、そう呼んでしまうのも納得がいく。できれば呼び方は改めてほしいけれど。
「明日のイベントの件? 僕はただの手伝いだから礼なら主催のハーヴェイに」
「もちろん彼にも感謝しています。でもチャ――チップにも、来てくれる他の皆さんにもお礼を言わせてください。僕はアダムの兄なんです。弟はもう明日のことが決まってから楽しみで仕方ないみたいで、毎日のようにイベントの話をしています」
「僕こそアダムには感謝しているよ。彼のおかげでオルチャミベリーに来られたし、僕も僕の恋人もすごく楽しんでいるんだ。もちろん明日のイベントも、アダムに会えるのも楽しみにしている」

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