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行こう、城塞都市! 身分証更新

 そんな風に、オスカーとチップの道行きもロールプレイなしの会話をしながらになったが、チップはさっきから気になっていた馬に関する質問をオスカーにした。
「ここの馬はやっぱり伝統的な重種とか、小柄な馬を集めてる?」
「そうでもないですね。今日みたいに体格の良い男性見習いには重種をあてることが多いけど、個人の持ち込みもあるし。
 歴史家の間でも当時の品種については意見が分かれているみたいです。伝令使の中では軽種はコーサー、中間種はラウンシー、重種はデストリアで呼び分けていますが、血統ごとの品種では呼びません。だからサラブレッドによく似た華奢なコーサーもいます」
 オスカーが悪い顔で笑った。チップも同じように悪い顔で笑い返した。
「誰かが錬金術の本場からアラブ種の馬に乗って城塞都市に来たかもしれないしね」
「そして厩役がその馬と別の品種をかけあわせたのかも」
「充分あり得る話だ」
 そうやって話しながらも、オスカーとチップは女性たちと同じように伝令使の役目を果たして都市内を半周した。
 キャットたちの見せ場は入退場門だったが、チップたちの見せ場は市参事会のホール前だった。チップは予備役の軍人らしくきびきびとオスカーに従い、たぶんチップのファンたちが後で知ったら悔しさに声をあげるようないい顔つきで役目を全うした。

「ふたりが『城塞都市への奉仕、清廉、邁進』の伝令使の誓いに背くことなく見習いを終えたことを正伝令使オスカーとサラが認めます。仮身分証を出して」
 サラによってふたりの身分証に一見クリオネのような、単純化したケーリュケイオン(ヘルメスの杖)の形の刻印が五つ打ち込まれた。
「これは見習いを終了した記念におふたりに、幸運のチャームです」
 オスカーからチップとキャットに古い蹄鉄が渡された。
「ありがとうございます」
 ふたりはオスカーに礼を言った。そこへ仮身分証を返しながらサラが言った。
「マークが五つ集まったから、役場に行くと身分証を正式なものに変えられるわよ」
 金色の金属プレートには鐘楼守見習いで三つ、伝令使見習いで五つ、合計八つの刻印が押されている。
「これって、仮身分証から正式なのに変わったらこの刻印消えちゃうの?」
 キャットが今さら気付いて言った。結局見せてもらい忘れたショーンの身分証は銀色だったはずだ。せっかくもらった刻印、それも仕事によって形が違うのがなくなってしまうのは惜しい。
「あー、うーん、そうねー」
 サラの返答が急に歯切れ悪くなった。
「役場で訊いてみたらいい」
 オスカーが横から提案してくれた。
「そうしよう!」
 キャットがいいことを聞いたというようにチップを見上げて言う。チップは飛び出していきそうなキャットをひきとめ、正伝令使のふたりに別れを告げた。
「それじゃあよい一日を。オスカーは明日また」
「はい」
 何の話かとオスカーを見たサラにもう一度別れの挨拶をしてキャットとチップは伝令所を出た。

「面白かったね! でも最初に伝令使見習いやったらひとつで身分証更新できたね!」
「まあね。でもあれは隠し依頼みたいなものだから、最初には受けられなかったんじゃないかなあ」
「そうだね。鐘楼守見習いも面白かったからいいけど。そういえば鐘楼守は記念品ってなかったね」
「展望台に行けたのが記念品代わりなんじゃないかな」
「そうか、本当ならお金かかるんだもんね」
 話しているうちに役場にはすぐ着いた。

「仮身分証の更新に来ました!」
 キャットが言うと、ふたりを見た役場の女性が笑顔になった。
「たくさん手伝いを引き受けてくれたのね、ありがとう。じゃあ錬金術師ギルドに行きましょう」
「錬金術師ギルド!?」
「ええ、まだギルドには行ってなかった?」
 キャットがしまったという顔でチップを見上げた。自分たちが朝からやったり食べたりしたのが中世都市らしいことばかりで、ここオルチャミベリーが冠する『錬金術』に関わる事柄が全く抜けていたことにたった今気づいたという様子だった。
「大丈夫、まだ間に合うよロビン。まだ一日目の午後じゃないか」
 チップの励ましで落ち着きを取り戻したキャットと、恋人の支えになったことでいい気持ちになったチップは、女性の案内で役場の隣にある錬金術師ギルドへと足を運んだ。

 今日何回も広場を往復したふたりは錬金術師ギルドの前を何度も通っていた。それなのにふたりが錬金術師ギルドの存在をすっかり忘れていたのにはもちろんわけがある。錬金術師ギルドの入り口は部外者の侵入を拒むかのようにそっけなく、ラテン語の(錬金術師には)有名な文章が刻まれた木のドアの上に(錬金術師には)有名な数人の錬金術師のレリーフがあるだけの人の目を惹かないつくりになっていたからだ。
 しかし案内役の女性はためらうことなくそのドアを押し開けた。
「上のように、下もまた同じ」
 暗い玄関ホールの奥に座る、フードをかぶった人物が謎かけのような言葉を吐いた。
「はい、こんにちは。仮身分証の更新、二名よろしく」
 役場の女性はマイペースだった。
「それじゃあ、後はあの人の言うとおりにしてね」
「えっ」
 キャットが動揺で声をあげるが、女性は開けたドアを押さえてふたりを中へと促した。フードをかぶった男性の声もふたりを中へと導く。
「この錬金術城塞で身分を認められるということは、錬金術の神秘の入り口に立ったということ。偉大な先達の技に触れ、ともに世界の成り立ちを解き明かそうぞ。
 どうぞ、奥へ」
 キャットが困った顔でチップを見上げたが、チップは励ますように微笑んだ。

 仮にもテーマパークとして営業しているのだ。これからカルト宗教に入信を強制されたり誇大妄想狂の長話に付き合うということではないはずだ、多分。

 先に立ったフードの男性を追いかけてチップが先に、やや腰の引けたキャットがおそるおそる後ろから、壁にかかったカーテンかタペストリーを持ち上げた奥へと進んだ。
 キャットの心を励ましたのは、フードの男性が手にしていたのがホテルで見たのと同じ『錬金術ランプ』だったことだった。
 錬金術ランプが表しているのはこれがロールプレイでどこか知らない世界に連れて行かれるのではないということのはずだ。
「こちらです」
 フードの男性が短い通路の突き当りにある扉を開いた。

 視界がぱっと明るくなった。
 広い部屋にはいくつもの椅子と机、色とりどりの紐を並べた棚があり、奥にはまた別のフード姿の人が座る大きなガラスの器具があった。
 しかしそこにはまた、現代の普段着の上から入園料に含まれたずるっとしたガウンを着た他の入園客たちがいた。そして。
「この手袋をつけて、仮身分証をこの鉢の中でよく洗ってから奥の者に渡して下さい」
 差し出されたのはどう見てもゴム手袋だった。

 緊張が解けた反動でキャットは笑いそうになり、必死にこらえた。近くの空いた椅子に座り、チップとテーブルに向いてひそひそと会話した。
「フライディ、フライディ。ここの蒸留器のパッキンは小麦粉じゃないかも」
「天然ゴムがなくてもケミカルゴムがあるとは、さすが錬金術城塞(オルチャミベリー)」
「いい加減駄洒落っぽくなってきたんだけど、ケミカルってついてれば何でもいいのかって」
 会話しながらも仮身分証を洗い終え、ふたりはそれを手に部屋の奥へ向かった。
「身分証を更新します。手袋は後でまた必要になるのでそのままで」
 ふたりが渡した身分証から、最初についていた紐がはさみで切って抜き取られた。
 ピンセットではさんだ身分証が、ふつふつと泡があがる大きなガラスの器に落とされた。身分証の周りに泡が集まる。

 キャットが無言でチップの腕を引いた。金色の仮身分証が泡に包まれ変色していった。
 無言のままキャットがチップをきらきらした目で見上げた。
 チップは心からの笑みを浮かべ、声を出さずに口の動きで「れんきんじゅつ」と伝えた。
 キャットが無言でうんうんと何度も頷いた。

「後はこれをご自身で磨いて、好きな色の紐を選んでつけてお帰り下さい」
 フードの男性が器から取り出した仮ではなくなった身分証を洗って返してくれた。
 ふたりは渡されたブラシと研磨剤つきの布で、いぶし銀に色を変えた身分証を磨いた。金属のプレートが少しずつ輝きを取り戻していく。しかしその色は元の金色ではなく銀色だ。
「こうなってたんだねー」
「錬金術の本領発揮だね。伝令所のふたりは知ってて黙ってたんだな」
「私がサラでも言わないよ、知らない方が絶対面白いもの」
「確かに」
 チップが喉の奥で笑った。
「それにしてもここに来るまでのあの君の不安そうな顔」
 キャットが無言で椅子を蹴る。が、チップのにやにやはその程度では収まらなかった。
 つんとして身分証磨きに戻ったキャットだったが、やがてその朱が差した頬がこらえきれずじわじわとゆるんできた。それを見てチップの笑みが柔らかいものに変わる。

 ふたりは仲良く身分証を磨き上げ、チップの提案でお揃いのこまどり(ロビン)のベスト色の紐をつけた。
 おそらく演出上の理由で入り口とは別の場所、部屋の奥側に設けられた出口へ、首から新しい身分証をかけたふたりが向かう。

「次こそ何か錬金術系の依頼受けようよ」
「僕も同じことを言おうと思っていたんだ」
「お揃いだね」
 キャットが笑って言った。
 チップが両手で身分証ごと心臓を押さえてうずくまった。
「どうしたの?」
「心臓が痛い。今すぐポーションが必要だ」
「じゃあポーション作成にしようか」
「そんなにのんびりしてたら僕の心臓がもたないかも」
「いたいのいたいのとんでけー」
 ちっとも心配そうでないキャットが言い、チップがすぐ立ち上がった。
「治った」
「よかったね」

 身分証の更新を担当する錬金術師の「こいつら早く出て行かないかな」という視線は、フードに遮られてふたりには届かなかったはずだ。多分。

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