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行こう、城塞都市! 中世料理3

「骨付き肉とか、ナイフに刺した肉とか食べたかったな」
 悲嘆にくれるキャットに、チップがむずかる子供をあやすように慈愛のこもった笑顔を向けた。
「貴婦人は自分でナイフを使わないからね。明日はまた小姓姿になって、一緒に居酒屋にでも行ってみよう。腰にナイフを差せるよ」
「絶対ね! このパイも皮は残すのかな」
「どちらでも良さそうだけど」
 パイシェルの扱いに話題が移ったチップたちに、チキンローストで快活さを取り戻したハーヴェイが横から言った。
「蓋はフリスビーみたいに飛ばせんじゃん? 俺はフルーツ入ってるからパスするわ」
「じゃあワイン煮は多めに取りなよ」
 キャットは自分でひとさじ分はしっかり確保しつつハーヴェイに譲った。
 チップがパイを切り分けながら楽しそうに笑って言った。
「そんなに骨を投げたいなら、大皿に残った鳥の骨は君が投げていいよ」
「いいの? フライディだって投げたいでしょう」
 そうに違いないという顔つきをしたキャットに、チップは人の悪そうな笑顔で答えた。
「君に譲るよ、得意そうだから。――そういえばサイコロの起源が動物のくるぶしの骨を転がす占いにあるって話はしたことあったかな」
「別に得意じゃないってば、今日はもうサイコロの話はおしまい!」

 怒ってみせるキャットと笑うチップの横で、ハーヴェイはひとり感動に震えていた。
「これも美味い……食べられる、美味い」
 どうやらワイン煮はハーヴェイの狭いストライクゾーンに収まったらしい。
 実際にはハーヴェイが口にしたそれは現代の食卓に並ぶ一般的なワイン煮よりはスパイシーだったのだが、モートローズの洗礼を受けたハーヴェイには相対的に食べられるものだったようだ。 
 キャットは申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんねハーヴェイ、ごちそう食べようとか言って。もっと普通のお店にすればよかった。パイの蓋投げる?」
「いいの?」
「ぐっ、いいよ」
 やせ我慢でそう言ったキャットと言われたハーヴェイが想像する『ごちそう』のイメージの乖離(かいり)がハーヴェイにとっての不幸を招いたのだが、この場の三人ともそれには気づいていなかった。
(チップはチップで自分が想像する『ごちそう』が周囲と重なると思えず店選びに口を出さなかったのだが、店の入り口に書いてあったクジャクが広場の店の時と同じ食材としてのサインだと気付いていたことは事前にふたりに言ってあげてもよかったかもしれない)

 美食家が三代かけて育つという東洋のことわざが常に正しいわけではないが、子供の頃から食べ慣れたもの以外の味を楽しめるようになるためには、本人の食に対する好奇心や、生まれ育ったのとは別の集団との交流、食べ慣れたものが手に入らない環境、それに加えてある程度の資金が必要だ。
 キャットはそのどの条件も満たしているのでこの宴を楽しめる。ハーヴェイは違う。
 チップの場合はまた少し違って、初めて食べる異国の料理を美味しいと思える、少なくとも拒否感をもたずに受け入れられるよう、子供の頃から口に合うよう食べやすくアレンジはされていても、自国以外の料理に使われる調味料や食材を使った珍しい料理に慣らされている。
 ことわざを体現したような彼の場合、むしろ自国で食べられている料理の中にこそ(王室専属コックが作らない)食べ慣れないものがあったりするがそれはまあいいとして。

 ハーヴェイは料理が好きでも得意でもない親の元で代わり映えのしないメニューを食べて育ったが、特にそれに対して不満をもったことはない。家族揃っての食事はにぎやかで楽しい時間だったし、みな健康だ。
 彼の思うごちそうは肉が多いとか肉が二種類とか肉が食べ放題とか、そういったシンプルなものだ。珍しいものがごちそうという感覚はあまりない。一番のごちそうは満腹だ。
 ということで、それなりに満腹になった今ハーヴェイは寛容になっていた。
「いいよ。やりたいんだろ。飛ばしなよ」
「本当にいいの? ――ありがとう!!」
 前言撤回される前に、とばかりにキャットが素早くスナップをきかせパイの蓋を飛ばした。
 蓋はくるくると回転しながら曲線を描いて宙を舞い、ハイテーブルの前に着地した。
「おおう、ナイストス! もうちょっと高かったらちょっと面白いことになってたな」
 ハーヴェイが手を叩いてキャットを称えた。他にも『そんな楽しいことができるのか』と感銘を受け顔を輝かせた何人かがキャットに賞賛の視線を送っている。
 キャットに続けとばかりに何人かが蓋を持った手を浮かせ、ボウリングの投球時のように隣とのタイミングを計っている。『だれがハイテーブルに一番近いところまで蓋を飛ばせるか』の静かで熱い戦いが始まっていた。

「……これこの次来たら禁止になってるんじゃないかな」
「歴史に名を遺したな、ロビン」
「私じゃないよ、元のアイデアはハーヴェイだよ」
「往々にして発案者は忘れられるものだよ」

 発案者のハーヴェイは歴史に名を遺すことに全くこだわっていなかった。
「チキンとこれで腹が落ち着いた。やっぱ肉だな。ワインもう一杯欲しいな」
 ハーヴェイがカップを上げて給仕におかわりを要求した。
「水割りじゃ物足りなくない?」
「そんなに強くないからこれくらいがちょうどいい。飲みすぎて出してもらえなくなっても困るしな」
「また道ばた生活になっちゃうもんね」
「いや、飲み過ぎはひと晩どっかにぶちこまれるらしい」
「え、牢屋に入れられちゃうの? なんの罪で?」
 キャットが目をみはった。
「どっちかっていうと保護? 明かりもないしその辺で寝てて踏まれでもしたら危ないからって。医術の心得がある者がなんとかって言ってたから急性アルコール中毒とかに備えてじゃないかな」
「要するに子供も楽しむテーマパークで酔っ払うまで飲むなってことだよ」
 チップが、宴の始まった頃よりも声が大きくなっている向かい側に座る男性にちらりと視線を向けながらまとめた。酔ってなくてもテンションの高い隣の友人のことは頭から追いやっている。

 食事の区切りごとに現れる水差しとボウルとタオルを持った給仕がまたやってきて、三人に手洗いをうながした。バラの花びらを浮かべた水差しを、花びらが落ちないよううまく傾けて水をかけてくれる。
「こういうのも居酒屋にはなさそうだから、両方体験できてよかったかな」
 ハーヴェイの心配がなくなったキャットは、元気を取り戻していた。

「お、チーズケーキだ」
 甘いものがあまり得意ではないハーヴェイがチーズの匂いを嗅ぎつけ嬉しそうに言った。
「こっちのブレッドプディングはワイン風味みたい」
「へえ、それもうまそうじゃん」
「あ、でも中に干しブドウ入ってる」
「じゃあいいや」
「でもチーズケーキもちょうだいね」

 ハーヴェイに会ったのは予定外だったが、結果的に友人の窮地も救えたしキャットに紹介もできたから幸運な出会いといえるだろう、とふたりの間にはさまれたチップは思った。
 ハーヴェイが合わない人とはとことん合わないのを知っているので、キャットをミーティングに誘ったチップがふたりの相性を心配するのは当然だ。当然なのだが。
 宴席で肉を切り分けるのは主人や身分の高い客の役割で、料理のとりわけを任されるのは名誉なことなのだが、チップをそっちのけでふたりがデザートについて楽し気に話しているのをただ聞いているのはどこかしら――
「フライディは? ブレッドプディングはハーヴェイが食べないから私と半分ずつ食べられるけど、チーズケーキも食べるでしょ?」
 いつものように真っ直ぐに見つめてくる恋人の瞳を見返して、チップはたちまち機嫌をなおした。
「そうだね、少しだけもらおうかな。手でケーキを食べるのは二十年ぶりくらいじゃないかな。前回はそのあと反省部屋直行だったけど」
 チップがふざけてそんな風に言うと、キャットがケーキに手を伸ばしながら笑った。
「魚とか肉ではあんまり思わなかったけど、ケーキを手で食べるのってなんだか悪いことしてる気分がするよね」

 ケーキを持ったキャットの指先が口元に運ばれ、唇が開かれるのを見ていたチップはつられて自分も口を開けそうになり、ふと我に返った。
「危ない危ない」
「どうしたの?」
「小悪魔に惑わされそうになった」
「フリスビーを持った?」
 キャットが片手で幻のフリスビーを掲げ、反対の手を自分の腰に回すようにしてポーズを決めた。
 噴きだしそうになって何とか堪え、喉の奥で笑い続けるチップにキャットが肩をぶつけたがチップの笑いは止まらない。お互いに何度か肩をぶつけ合うふたりは、傍目にはスキンシップ過多な恋人同士だ。
 隣のハーヴェイはそんなふたりが視界に入らないのを幸いに、ひとりで着実にチーズケーキを攻略していた。

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