前へ もくじ 次へ

行こう、城塞都市! カメラ・オブスクラ

 宴の終わりはいつも心地よい疲れとほんの少しの寂しさを連れてやってくる。

「終わっちゃったね」
「楽しめた?」
「うん、とっても。料理も面白かったし」
「ハーヴェイも肉は足りたかい?」
「まあな。チキンほとんど俺がもらっちゃったしな。やっぱ食い慣れたものが一番美味いってわかったわ」
「珍味っていうのは食べ慣れたものに飽きたその先にあるものだからね」
 両隣のふたりそれぞれに気を配るチップに、キャットが質問を投げ返した。
「フライディも楽しめた?」
 少し心配そうな顔の恋人に、チップは満面の笑みで答えた。
「もちろんだよロビン。ドレスアップした君が隣にいて僕が楽しめないなんてことがあるわけないだろう?」
「あ、衣装返さなきゃな」
 ハーヴェイが気付いて半ばひとりごとのように言った。
 キャットがすぐに反応した。
「そうだった。やっとタイツ脱げるね。せっかくの晴れ姿が写真で残せなくてざーんねん」
 からかうような口調のキャットを、チップが引き留めた。
「――いや、残せるかも」
 そう言った彼の視線の先には、ターバンを巻いた人のシルエットと『アルハゼン』の文字が書かれた看板があった。

「マサーアルヘール(こんばんは)。スタジオ・アルハゼンへようこそ」
 扉を開けたチップたちを迎えたのはアラビア語の挨拶だった。看板のシルエットによく似たターバン姿の男性からだった。
 店の中は錬金術ランプで明るかった。暗い外から入ったキャットは明順応の眩しさに慣れると、壁にいくつもの小さな絵が飾られているのに気付く。
 画法が未発達であっても絵筆と絵具だけで素晴らしい絵が描けるのは実際のこの時代に描かれた傑作を見ればわかることだが、キャットには壁の絵が、何がどうと具体的には言えないがこの時代にしてはいささか上手く描かれすぎているようにも見えた。
「こんばんは。ここではどういうことができますか?」
 何か見当をつけているらしいチップが代表して、男性に尋ねた。チップと連れのふたりはまだレンタルの豪華な衣装のままだ。
「カメラ・オブスクラでの撮影と、彩色された細密画(ミニアチュール)の作成です」
「時間は?」
「撮影には三十分くらい、絵画の完成には十日ほどかかります」
「では絵を注文したい。同じものを三枚、時間はかかっても構わない」
 やりとりの場からいなくなっていたハーヴェイが、壁に掛けられた説明パネルを見て声を上げた。
「うひょー、アルハゼンの定理!!」
 キャットだけが蚊帳の外の気分だった。
「カメラ・オブスクラって?」
 その疑問にはチップではなく店の男性が答えてくれた。
「十世紀の錬金術師イブン・ハイサムが発案した機械です。簡単な模型があるのでそちらをご覧いただくと分かりやすいでしょう」
 男性がキャットに、部屋の端にある背の高い台に載せた四角い箱を示した。
「それを台の上に置いたまま、矢印の方から覗いていて下さい」
 キャットが箱の上に描かれた矢印と向かい合うように立つと、店の男性が箱の反対側にある電……錬金術の灯りをともした。ランプの前には店の看板と同じ、ターバンを巻いた人のシルエットが影絵のように黒く切り取られて立ててある。
「あっ、見えた! さかさま!」
 箱の側面、キャットの目前に、ひっくり返ったターバン姿のシルエットが投影されているのが透けていた。
 隣に移動していたチップが、種を明かすように説明する。
「ピンホール・カメラともいう、光の特性を利用した仕組みだよ。実験したことない?」
「なんか聞いたことはあるかも。ランプと影はなんとなくわかるんだけど、後ろの壁の模様とかは自分で光ってないのになんで見えてるの?」
「なんでって……人間の目と同じ仕組みで対象物に反射する光を捉えているからっていったら分かる? そもそも僕らの目はこのカメラ・オブスクラと同じように対象物じゃなくて対象物が反射している光を受け取っているんだよ」
 基礎の基礎から説明しようとするチップに、説明パネルを読み終えたハーヴェイが声をかけた。
「おい、早く撮ろうぜ」
「一瞬前まで違うことをしてたお前に急かされるのは、納得がいかないな。ロビン、手を」
 ぼやきながらもチップはハーヴェイの言葉に従った。キャットもカメラ・オブスクラを覗き込んでいた身体を起こし、チップが差し出した肘に手をかけた。

 三人はスタジオ・アルハゼンの部屋のひとつに案内された。
 最初に挨拶を交わした男性はスタジオの中の男性に三人を託すと店の入り口に戻っていった。

 中にいたカメラマンの男性は、とても愛想がよかった。
「よくいらっしゃました、ご立派なメッシュー(紳士達)と美しいマドモワゼル。こちらへどうぞ。マドモワゼルはこの椅子に掛けて、メッシューはその後ろに立って」

 ところどころに混じるフランス語の呼びかけといい、三人をあっという間に定位置に配置した手際の良さといい、滑らかすぎてなぜかひどく信頼のおけない感じがするが、たぶんこれもロールプレイの一環だろう、そう思いたい。きっと観光客相手のぼったくり商売をコンセプトに再現しているのだろう。そういえばミニアチュールは一枚いくらなのだろう、とキャットは思ったが質問する余裕はなかった。

「はい、マドモワゼルはもう少し足を後ろに引いて。いえ、そこまでだと引きすぎです。もう少し、そう。あと少し首が傾いておいでですのでこう起こすように」
 そう言って自分の首を両手で挟んでくいっと起こした彼の仕草に、キャットは笑いを噛み殺した。真面目な顔を作らなければいけない時に限って笑いたくなるのは何の法則だろう。
「はい、それでもう少し口の端を上げていただいて歯は出さずに、そう、そのままで」
 キャットはカメラマンの指示に集中するのが大変だった。
 なにしろ後ろからチップとハーヴェイのくだらない会話が副音声でかぶって聞こえてくるのだ。

「撮影スタジオにソファが置いてあると、たいてい女が座るようになってるだろう。あれチビの男が身長差を気にしないようにするためかね。それか男が乗ってる踏み台を隠すためとか」
「ソファのないこの時代は木の椅子を置くんだね。ピントが合う距離にモデルを配置するためじゃないかな」
「写真はあるのにソファがないとか飯がまずいとか、日常生活に興味なさすぎだろ錬金術師」
「ソファに関しては同意するけど、料理はお前の口にあわなかっただけできちんと調理されていたし不味くはなかったぞ? 普段は藁束に座ってたんじゃないかな。この硬い椅子で長時間研究に没頭するのは身体に悪そうだし」
「ケツが平らになりそうだ」
「女性の前で品のない言葉を使うなよ」
「女性の前じゃなく後ろだ」
「子供か」

 キャットのポージングに満足したカメラマンの指示が、油断した男ふたりに向かった。

「後ろのメッシューはもう少し前へ。マドモワゼルの椅子の背もたれに触れるくらいに。右のムッシューは大変よろしいですね」
 チップは撮られ慣れているだけあってポーズぎめもすぐ終わった。大変だったのはハーヴェイだ。
「左のムッシューは腰から上を真っ直ぐに、こう、いえ、そうではなく手は身体の横に、いえ、そうではなく」
「あのさ、俺、もっと強そうなポーズがいいんだけど。椅子持ち上げてるとかどうだろ」
「椅子……ですか?」
 ハーヴェイは自由だった。ついていけないカメラマンが訳が分からないという顔をした。
 見かねたチップが口を出した。
「少しいいかな」
「はい、何でしょうムッシュー」
「彼の衣装の袖口はレースが見事だからね、よく見えるように腕を組んで立たせたらどうだろう」
 チップの提案は事故が起こりそうな椅子リフトより受け入れやすいものだったらしい。
 カメラマンの前で腕を数度組み換えたハーヴェイも、最終的に満足できるポーズがとれた。
「では私が『はい』と申し上げたら少しの間このままで」

 初期のカメラ・オブスクラでは、ピンホールの先に結ばれた画像を数時間かけてなぞって絵を完成させたらしいが、この錬金術城塞ではたぶん何か印画紙の代わりになる技術が使われているのだろう。キャットは追及を避けた。

 撮影を終え、ハーヴェイがうーんと伸びをして言った。
「じゃあ着替えて帰るか」
「どうやって帰るの?」
 キャットの疑問に、チップが答えた。
「宿屋通りまで送ってくれるフクロウ騎士(オウルナイト)に頼むらしいよ」
「それ夜(ナイト)と騎士(ナイト)をかけてる駄洒落じゃないよね」
 半目になったキャットの視線を、チップは受け止められなかった。

前へ もくじ 次へ

 Tweet
↑ページ先頭
inserted by FC2 system