フライディと私シリーズ第十作
021◆彼の義務と彼女の決意 (直接ジャンプ I II ) シリーズ目次 サイトトップ
 
【 II 】
4.
……怖くないの?」
 助手席に移ったキャットがハンドルを握ったチップの横顔を見つめながら言った。その横顔がかすかに笑った。
……怖いよ。でも怖がってる間にどんどん状況が悪くなる時は、動くしかないだろう?」 
 チップの携帯電話が鳴り出した。チップが車を路肩に寄せて、電話を受けた。キャットは礼儀上なるべく聞かないようにはしたが、車の通りの多い道端で降りるわけにもいかず、チップの受け応えを全て耳にすることになった。
「ああ、僕だよ。悪いね、また面倒かけて……何とか抑えてくれないかな。お小言の方は帰ったら謹んで聞くから。まだデート中なんでね……え、なんだよそれ……いいよ、じゃあ報道させてもいいから、連れのことは伏せてもらって。……身の安全? 逃げ出すとこが公表された方がよほど問題じゃない? 王子は他にもいるじゃないか。僕はもう王位継承にも関係ないんだから、せいぜい体を張って王室の宣伝担当を勤めるよ。……すまない、言いすぎた。……うん、ありがとう。……いや、もう身辺警護は勘弁してくれよ、ようやく身軽になったんだから……
 
 キャットは無言で恋人の横顔を見つめた。
 
 チップが特別なわけではない。軍人、警察官、消防隊員……世の中には危険を伴う職業が多くあるし、その家族は皆キャットと同じように大切な相手を心配している筈だ。分かってはいても、こんな風に胸が苦しくなるほど好きな人を危険に送り出す他の人達が、いつもどうやってそれを乗り越えているのか不思議でたまらなかった。
 本当なら王子であるチップは誰よりも安全でいい筈なのに、なんでわざわざ危険なことをするんだろう。他の軍人には申し訳ないと思いつつ、キャットはそう思う気持ちを抑えられなかった。
 
 ようやく電話を終えたチップが、何事もなかったように笑顔を浮かべた。
 
「ねえ、ロビン。海でも見に行こうか」
 
5.
 駐車場に車を止めたチップが、砂交じりの風に顔をしかめてから、コンバーチブルのソフトトップをかけた。キャットに腕を回して、風からかばうようにして砂浜に降り、浜にひきあげられた船の陰に落ち着くと、キャットを後ろから抱くようにして腕の中に納めた。
 
 そのまま二人で無言のまま波の音を聞き、海から上がる月を眺めた。
 
 キャットはこの国に来てみて、多くの国民が王室の伝統を愛し誇りに思っていること、またやんちゃで話題の多い第三王子を愛していることを実感した。チップが自分の義務を果たすことに関してどれほど気を配っているのかも分かってきた。そしていつか王子を辞めてうちにおいでと言った自分が、いかに世間知らずだったかを悟っていた。
 リックの言葉が甦った。『多く与えられた者にはより多くが求められる』……それにしてもチップは多くを求められすぎていないだろうか。 
 
「本当はうちに来る気なんて、全然なかったでしょう?」
 キャットが沈黙を破って口を開き、今までずっとその話をしていたかのように言った。チップはキャットに回した腕に力を込めた。
「そんなことないさ。選択肢のある人生っていいなって思えたよ。例えそれが、君が他国人で事情に疎く ―― 幼いからだとしても、僕はすごく嬉しかった。可能性はゼロじゃない。他の国でだけど前例もある」
 キャットはそれに答えず、また暫くしてから言い出した。
「もしフライディが死んだりしたら、私すぐ他の人好きになるからね」
「それは頼もしいな」
……やっぱりやめる。もしフライディが死んだりしたら、私も死んじゃうからね」
「僕はそんなヘマしないよ。忘れたの? 僕は君の次くらいに幸運なんだよ」
「事故で漂流したくせに」
「あれは君に会うためさ、バディ。漂流でもしなきゃ隣国に住んでた七つも下の小娘にこんな生意気な口きいてもらえないだろう?」
 チップの腕の中でキャットが振り向いた。そして、目を閉じて唇を薄く開いた。チップがキャットにかぶさるようにして長い長いキスをした。キャットが腕に力を込めてチップにしがみついた。
 やがて、名残惜しそうに離れた唇からチップが囁いた。
「そろそろ帰ろうか。夜も更けてきたし、いいかげん家に帰って小言を聞かなくちゃ」
「まだ帰りたくない」
 
6.
 チップは二、三度何か言いかけて、それからとろけるような笑顔を浮かべた。
「君がそう言ってくれるのを僕はずっと夢見てたんだ。家に帰るのが憂鬱でたまらないこんな日に、なんてすてきなサプライズだろう。しかもこんなロマンチックな場所で月を眺めながら……うん。もう少しだけ一緒にいよう」
「フライディ、あのね……愛してるからね」
「僕もだよ、ロビン。愛してる」
 
 また長いキスを交わし、無言で抱き合ったまま輝きを増す月を二人で眺めていったが、とうとうチップが言いにくそうに告げた。
「ロビン。僕、君を帰したくなくてわざと時計見ないようにしてたんだけど」
「うん」
「もうどうやっても寮の門限には間に合わない」
「うん。分かってる」
 そう言ってぎゅっと抱きついてきたキャットを、チップが見下ろした。前髪の影がかかったチップの表情はキャットにはよく見えなかった。見上げたキャットの顔はチップにはよく見えた。
「そんな顔するなよ、ロビン。僕も本当はこのまま二人で朝まで過ごしたい」
「いいよ」
「できないって分かってる時にそんなこと言うなよ。まったくもう、君は可愛いな」
「離れたくない」
 そう言って更にしがみつくキャットを優しく抱き返してチップが囁いた。
「大丈夫。僕はいなくならないから。今夜は無理だけどいつかきっと、ずっとずっと離れずに一緒にいよう」
 キャットは返事をしたら泣きそうだったので、ただ小さく頷いた。
 
 チップはベスの家に電話をして、今晩キャットを泊めてくれるように頼んだ。
 
エピローグ
 ベスの家の玄関前で車のエンジンを切ったチップが、キャットにキスをしようと助手席に身を乗り出した。守衛から連絡を受けたベスがもう出迎えに姿を見せていた。
「あのねっ……私っ……
 キャットの言葉の続きを聞こうとチップが動きを止めた。
「国民を守るのがフライディの義務なら、私はフライディを守る。どうすればいいか分からないけど、私にできること考えてみる」
 キャットが一息にそう言い、チップは片手で目を覆って溜息をついた。
「ロビン、お願いだから今度そういうことを言うときは別れ際じゃなくて会ってすぐにしてくれないか。これじゃ今夜はお説教が終わっても眠れそうにないな」
「ごめんなさい」
 困った顔をしたキャットの頬を、チップがからかうように軽くつまんだ。チップは少し照れたような微笑を浮かべていた。
「謝るなよ。嬉しくてたまらないって意味だよ。愛してるよ、ラッキー・ガール。お説教があんまり厳しくないようにキスで君の幸運を分けて」
 
 微笑んで頷いたキャットから贈られた今日最後のキスと言葉は、彼女をベスに預けて一人で車に戻ってからもずっと、祈りのように穏やかにチップを包んでいた。
 
end.(2009/07/19)
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