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茨姫(いばらひめ) 1(ベスのお話)

 同い年のいとこなんて持つものじゃない。
 全てにおいて比較をされて育つ。

 並べて撮られることが多かった小さいころの写真には、愛くるしい笑顔を浮かべたいとこの横に、気難しい顔をした私が写っている。小さい頃の写真で笑顔のものは殆どない。
 大きくなるにつれやんちゃな性格が顔に出てきたいとこは、その後女の子のように可愛くはなくなったけど、おしゃべりで明るくていつも皆の中心にいて、幼い私を全てにおいて消極的にさせた。
 同性じゃないだけ、まだまし? そんなことはない。私の場合は異性であることがもうひとつ別の悩みを生んだ。

 私といとこのチップは同じ小学校に通った。同じクラスだった最初の二年が最悪だった。
 ある日私は、クラスの女の子全員……ほぼ全員がチップにキスされていると知った。つまり、私以外。
 私は幼いなりのプライドと正義感でいとこに詰め寄った。
「チップ。全員――ほとんど全員にキスするなんて、本当に好きだからしたんじゃないんでしょう? 女の子に失礼だわ」
「誰かとだけするんじゃ不公平だから」
 けろっと答えたチップに、私はつい言ってしまった。
「じゃあどうして私とだけしてないの?」
「してって言わなかったじゃないか。それにベスとはいずれ結婚するから」
「――絶対にあなたにキスしてなんて言わないからっ!!」

 その日の夜、私は泣きながら神様に祈った。
 チップとキスをしたり結婚するくらいなら死んだ方がましです。でも私が死んだらお父様とお母様が悲しむから、どうかチップをこの世からいなくならせてください。

 今思い出しても自分勝手な願い事だけど、どういう気まぐれかその願いを神様は聞き届けて下さった。
 私とチップの婚約がほぼ決まってから、チップは行方不明になり、そして二ヵ月後に戻ってきて、私達の婚約は白紙に戻った。神様ありがとうございます。
 秘密だけど、私がキャットの応援をしているのはこんな願いをしてしまったことへの罪滅ぼしもある。キャットと一緒にいるチップを見るのが面白いという腹黒い気持ちもあるけれど。

 私の父は現国王の兄だ。兄である父が国王として即位せず弟である叔父が即位したのは父の持病が原因だが、その父の子どもが娘であることが分かった時点で、当時二人いた王子のどちらかに私を嫁がせるという考えが、誰が言い出すともなく皆の頭に浮かんだらしい。
 物心ついて暫くした時には、その時はもう四人になっていたいとこ達の誰かと結婚することを期待されているのだと、誰から教わるでもなく知っていた。

 一番上のアートは私より七つ年上。幼い頃の私にとってアートはずいぶん大人で、アートからみた私はずいぶん子どもで、私が年頃になる前にもうアートには恋人がいた。
 二番目のベンは私より四つ上で、彼こそは私の心に描く王子様かつ未来の夫だった。
 ベンは無口で物静かで、大人っぽくてとても素敵だった。二人きりになる機会は少なかったし、そんな時にも何を話していいか分からなかったけれど、私はベンが私と結婚するんだと信じていた。
 こっそりと『ベン&ベス』と名前を並べて書いた幼い私の初恋は、ほぼ十年後に失恋で終わった。たまたまいとこ達の家に来ていた私が、通りすがりに耳にしたアートとベンの会話で。
「ベスは誰と結婚するのかな」
「チップだろう。歳も同じだし」
「ベン、お前は?」
「昔から妹のつもりで見ているからな……いい子だとは思うが」
 それを聞いた私はそのまま家に帰って二日間学校を休み、部屋から出ず泣いて過ごした。

 思春期になった私は、相変わらず皆の中心で輝くチップの、私をいらつかせる爽やかな笑顔と、チップのいとこという自分のポジションに耐えられなくなり、女子だけの学校に行きたいと両親に願い聞き届けてもらった。
 女子校に入ってからの私は性格まで明るくなり、そばにチップのいない生活はこんなに快適だったのかと、失われた十数年間を悔やんだ。
 そして、卒業パーティーのエスコートをベンが引き受けてくれたことで、ささやかながら自分の初恋のエピローグとなる美しい思い出を作ることができた。

 その後、大学に進んで美術史を学んだが、いとこ達の存在のせいか、私に声をかける男性は一人も現れなかった。その代わりに私のファンだという男性の話ばかり人伝てに聞かされた。
 とうとう女友達につけられたあだ名は茨姫(いばらひめ)。周囲を厚い茨(いばら)の茂みに覆われて誰もたどり着けないということらしい。

 どうやらチップと結婚するしかないらしいと、私自身も茨(いばら)の茂みから抜け出せないことを感じはじめていた頃、チップが海軍に入隊すると父に言われた。二年の兵役期間後には結婚準備に入るだろう、お前は本当にチップで構わないか……とまあそのような、一見私に拒否権があるようで実は決定済事項が伝えられたわけだった。
「チップは何て言ってるの、お父様」
「お前が構わないなら、と言っている」
「……私も、チップが構わないなら結構です」
 他にどう言えばいい?
 私は生まれてからずっとそうすることを周囲に望まれてきた。他の相手をもし見つけたとしても(現在のところデートの申し込みひとつ受けたことはないが)王族の降嫁となると色々面倒だし、アート達四人の結婚問題は王家の将来を左右する。たとえ十五年近くまともに口をきいたことのないいとこであろうとも、わが国の王子から望まれて嫁ぐというのに、私が不満を述べることなどできるわけがない。
 ――でも本当に望まれているんだろうか?

 やがて、チップが行方不明になったという事故の一報が入ってきた時、誰にも言えなかったけれど私はほんの少しだけ「チップは結婚が嫌で逃げ出したんじゃないか」という疑いを抱いた。チップの方だって、私との婚約を断らないのはおそらく周囲の期待に応えるため、ただそれだけの理由だった筈だ。

 私以外の皆が、あきらめきれない気持ちからそろそろ本気であきらめかけた頃、突然チップが戻ってきた。

 チップの長い入院期間中、私は一度も病院へは行かなかった。行くべきだろうと分かってはいたが、彼が結婚から逃げ出したのだとしたら、私を見て何と思うか分からない。そもそも婚約の話だって人から聞かされただけの婚約者に、会いたいと思うとは思えなかった。

 そうやって目をつぶって逃げていた問題が、私の知らない間に変化していたことを教えてくれたのは、ある日私のところにやってきたチップの弟のエドだった。

「エリザベス」
「久しぶり、エド。チップの具合はどう?」
「その……チップとの婚約がとりやめになるって聞いて」
「えっ!?」

 自分でも血の気がひくのが分かった。
 私の顔を見たエドも顔色を変えた。
「エリザベス、知らなかったの? ごめん、知っていると――」
「それ本当なの?」
「多分。チップがそう言っていたから」
 私は立っていられなくなって、ソファに座り込むと顔を覆った。
 エドが慌ててテーブルに足をぶつけながら飛んできて私の肩に手をかけた。
「エリザベス、ごめんなさい……僕がこんな風に伝えるべきじゃなかった。ひどいことを……本当に、兄のことで」
「――嬉しい」
「嬉しい?」
「今の話を聞いた途端に、ずっと乗っていた重石が取れたみたいに頭が楽になったの。自分でもこんなに嫌だったなんて気付かなかった。私、本当はチップと結婚するくらいなら死んだ方がましだって、たぶん小さい頃から今までずっと思ってたんだわ」
 私がそう言うと、エドが目を皿のように丸くしていた。そういえばエドは小さい頃からよく兄達に騙されてはこんな顔をしていた。
「エリザベス! どうしてそんなに嫌なのに結婚するつもりだったの?」
「分からない? あなたなら分かるでしょう? 私は生まれたときからあなた達兄弟の誰かと結婚することを期待されてたのよ? それを裏切れると思う? あのチップですら周囲の期待に応えようと同じことをしたのよ?」
 そう言ってエドの顔を見つめた私は、エドが真っ青になっていることに気付いた。
「エド、どうしたの? 顔色が悪いわ」
「エリザベス……今こんなことを言うのが間の悪いことだって分かってるけど、エリザベスがこんなにショックを受けている時じゃなくてもっと冷静な時に改めるべきだとも分かってるけど、もし僕と婚約をするとしたら、どう思う? やっぱり死んだ方がまし?」
「考え……たことないわ」
 そう答えた私は、改めてエドのことを考えてみた。

 小さい頃はころころしていた、三つ年下のいとこ。
 いつも私をベスではなく堅苦しくエリザベスと呼ぶ、このいとこが次の結婚相手として期待されるのだということに、私は遅ればせながら気がついた。

「そうね、チップでなければあなたになるのよね」
「僕のことが嫌だったら、そう言ってほしい。僕がベンを説得する」
「ベンは私のこと、妹としか思っていないわ」
「……エリザベスは? 僕のこと弟だとしか思っていない?」
「ごめんなさい。本当に考えたことがなかったの」
「エリザベスのことをずっと手の届かない人だと思ってたけど、本当は」
 そう言いかけたエドが、震える手で私の手を取った。

 人生二十三年目にして初の告白を受ける日が来たのだろうか!? ああ、でもっ。
「待って、エド、いえ、エドワード。その先は仰らないで。私まだ正式に婚約がとりやめになるのかどうか確かめていないのに、あなたのお話を伺うわけにはいかないの。それではあなたにもチップにも失礼だわ」
「エリザベス、迷惑ならそう言ってくれて構わない」
「ねえ、お願い。私をチップのところへ連れて行って。チップと話をさせて」

 エドは紳士だった。
 やさしく握った手を離して非礼を詫びてから、私をチップのところへ連れて行ってくれた。

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