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チップとキャット 5(おわり)

「キャット、起きてるの?」
 様子を見にきたベスは笑い声を耳にし、そう言いながら部屋に入ってきた。
 そして天蓋つきベッドに座ったもう一人の姿を見つけて悲鳴のように叫んだ。
「チップ、あなたここで何してるのよ!!」

「野暮なこと聞くなよ。分かるだろう?」
 チップは立ち上がりベスの方へ向かった。
「どうやって入ってきたのよ!」
「もちろん恋の翼で飛んできたんだよ……あんまり追求しない方がいいよ、ベス」
「キャットが自分から会いたいって言うまで会わせないって言ったでしょう!?」
「そのことでは僕はかなり君を恨んでるけど、朝まで邪魔しないでくれたら水に流してもいい。ああ、それから朝食は僕の分も追加して。頼んだよ」

 ベスが怒りで口がきけなくなったのを幸い、チップはベスを追い出してドアを閉め、鍵をかけてしまった。
 それからベッドを振り返ると、キャットは暴れて乱れたシーツを引っぱりあげてせっせと整えている最中だった。
 シーツを整えたキャットが中にもぐりながらチップの方を見ないで訊いた。
「ねえ、あの人にあれからも誘われた?」
「ああ、まあね。君よりはずっと積極的だったね」
 キャットがもぐったシーツの間に自分も一緒にもぐりこもうとしながらチップがそう言った。

「僕はハンターにとっては珍しくてデカい――ゾウみたいな獲物だから、トロフィーがわりに飾りたいんだろ」
「ゾウは保護動物だからハンティングは禁止なんだよ?」
「よく知ってるね、ロビン。僕も君に保護されたいな」
「男の人はああいう女の人が好きでしょう?」
「僕が好きなのは君だよ」
 そこまで言われてもキャットは非難がましく付け足さずにはいられなかった。
「パッド入れないといけないのに?」

 からかわれたのは分かっていたけれど、パッドを入れたのは本当だったからキャットの心にはあの時の言葉がずっとささっていた。
「あれは、君があの場所で居心地悪そうにしてたからちょっと元気づけようと思ってからかったんだ。考えなしだった。ごめん、謝るよ。実を言うと君が見せびらかしてた胸骨にキスしたくて君の胸元から目が離せなかったんだ」
「見せびらかしたりなんかしてないよっ」
「いいや。僕からはそう見えたね」
 そう言ってからチップは、キャットのパジャマから見える喉元に少しだけ触れた。
「やりすぎて君の機嫌を損ねたくはないんだけど――ここにキスされるの、そんなに嫌だった?」
「……わかんない。ぐるぐるしてざわざわするの。でも初めてキスした時みたいにわけわかんないうちにされるのは嫌」
 そう言ってから、キャットが少し不安そうな顔でチップを見つめて言った。
「ごめんね、フライディのことも私が大人だったらもっとちゃんと分かるのかもしれないけど、どうすればいいのか分からなくなっちゃったの。ベスが言ったみたいに怒ればよかったのかな? うまく言葉にならないけど、……私が子供っぽくて、フライディは嫌?」
 チップは非常に複雑な表情で、上目遣いにこちらを窺う恋人を見返した。
「普通はベッドの中でそんな風に訊かれたら次にやることは決まってるんだけどね。今はまだ子供でいいよ、僕は君の将来性を見込んでるからね。――君となら無人島でも楽しく過ごせるって分かってるし」
 キャットが無言で両腕をチップの首に回した。そのまま上等なシーツの上をずり上がるようにしてチップの頭を胸に抱いた。

 一瞬にして、二人の関係が変わった。

「……ありがとう。もう君にこんな風にしてもらえなくなるかと思ったよ」
 チップが小さな声でそう言い、そしてそのまま二人は静かに抱きしめあった。

 しばらくしてチップが言った。
「とりあえず今回の件は片付いたけど、これからもまた君に心配かけたり不愉快な思いをさせることはあると思う」
「皆がフライディのこと追っかけるから?」
「うん。そういうのもあるし、どうしても公務優先になる時があるから。文句言っても暴れてもいいから、もう逃げないで」
 そう言ってから、しばらく間を空けてチップが静かに言った。
「本当は君に僕との将来を真剣に考えてほしいって言いたいんだけど、風邪をひいて公務を休んだだけでニュースになるような生活が君にとって快適だとは思えなくて、迷ってる」
 キャットがチップを胸に抱いたまま言った。
「フライディ、うちに来てお父さんと一緒にパン作る?」
 チップがいきなり噴き出した。
 そのまま笑いが止まらなくなって、目じりに涙が浮かぶまで笑った。
 キャットはむっとして言った。
「ひどいじゃない。そんなに笑うなんて。私、本気だよ?」
「ごめんごめん。僕は君に来てもらうことばかり考えていたけど、君の言う選択肢もあるね。一人で考えるより、君と二人で考えた方がいい方法が見つかりそうだ。急がなくていいから、一緒に検討してくれない? やっぱり君がいないと駄目だ。愛してるよ、ロビン」
 まだところどころ笑いを挟みながらチップは恋人の腕を解き、今度は逆に自分の腕の中に彼女を抱き寄せ、幸せそうに溜息をついて言った。
「本当に本当に、愛してる。ねえ、このまま一緒に寝ていい? ここ数日あんまり寝てないんだ。今夜は君と寝たいな」
「それって、言葉どおりの意味でいいんだよね? ええっとつまり、ベッドをシェアするって意味でいいんだよね?」
「今日のところはそれでもいいよ、バディ」
「ならいいよ」
 チップは、ちっとも懐柔(かいじゅう)されてくれない恋人に苦笑した。
「将来についての検討には、ぜひこの件についても含めてほしいな」

 ――今回の工場誘致のための案内というのは一般向けのパフォーマンスだった。

 あらかじめ企業と政府の間で根回しされていた計画をスムースに運ぶため、ああいう形で公にしただけだ。王子自ら案内をして計画が中止になったらそれこそ王家の威信に関わる。
 しかし、企業側の担当が仕事も恋愛もやり手だと評判の女性になると分かって、第二王子のベンを案内役にすることが問題になった。第二王子をそんな女性に付き添わせていいものかと懸念された。今女性関係の噂が立つのは時期的にも色々とまずかった。

 関係者にとって幸いだったのは、そのベンに女性と一時親密にした位では今更皆の関心を惹かず、王位継承権を放棄した、代役としてたいへん都合の良い弟がいたことだった。
 おまけに今付き合っているのはとるに足りない相手で、ちょっとくらい王子のお遊びが過ぎたとしても周囲を巻き込む大問題にはならない。第三王子にエスコート役を代わらせれば、第二王子の身の回りは綺麗に保てる。
 あれだけ周囲に迷惑をかけたんだからせめてこれくらいのことは引き受けてもらわないと、王室にとどまらせた意味がない。視察団に好印象を与えるために、愛想のひとつふたつ振りまくくらいのことはできるだろう。何しろ女性の扱いにかけては兄弟の中で一番経験豊かだという話だから。

 ……というような周囲の思惑が最初に全て分かっていたわけではないが、もし先に分かっていたとしても、チップはこの役目を断れなかった。ベンにやらせるわけにはいかないし、他の兄弟でも駄目だ。
 結局自分が一番うまくできるということは、他人に言われるまでもなくよく分かっていたのだ。

 どうしても失いたくない恋人がいる時にはひとつも嬉しくない公務だったが、事故以来彼の王子としての資質に疑いを抱き足を掬おうとする一団から出た話だからチップはにこやかに二つ返事で引き受け、期待される役割を完璧に果たそうとむきになった。
 チップはデメトリアのアプローチをのらりくらりと躱(かわ)しながら、先方と此方の主張がぶつかり合った時には冗談や予定外の寄り道でギスギスした雰囲気を和ませ、でしゃばりすぎず引っ込みすぎず、この事業が自国にもたらすであろう利益を歓迎する王家のアイコンとして視察の全日程に同行し、緩衝材がわりに両側から潰されてきた。
 こうしてチップは(彼の敵にとっては全く面白くないことに)期待された以上に事業の進展に貢献して視察団を飛行機に乗せて送り出し、自分の有用性を証明した。

 ――自分が例の事故以来、一部でホワイトエレファント(金を食うやっかい者)扱いされていることを知っていたから、さっきチップはつい自分をゾウに例えてしまった。
 まさかキャットに狩場から出て家においでと言ってもらえるとは思ってもみなかった。

(君にならいくらでもハンティングされたいんだけどな)

 チップがそう思いながら恋人の穏やかな寝顔にキスをすると、キャットは眠ったまま微笑み、寝返りを打ってチップに寄り添った。
 チップの顔にも知らず笑みがひろがった。

 ベッドには入れてくれるのにキスまでしかさせてくれない、王子という仕事にも全く拘らない唯一無二の恋人(バディ)を腕に抱き、今夜はチップもおとなしく目を閉じた。

end.(2009/03/22)

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