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FAQ

※FAQ;エフエーキュー。「よくある質問」の頭文字。
 
「フライディの恋人って何人くらいいたの?」
「いつも一人しかいないよ」
 僕はにっこり笑って答えた。

 ロビンが上目遣いに僕を見ながら質問を変えた。
「……言えないくらいたくさんいたの?」
「肯定も否定もしない」

 もしここで本当のことを答えたとしても、次にはロビンは誰がその相手か訊きたくてたまらなくなるに決まってる。
 そして今度は相手との付き合いの深さとか、僕がそれぞれの彼女を今どう思ってるかが気になって……
 要するに、きりがないってことだ。

 過去は変えられない。昔のことで妬かれても僕にはどうしようもない。
 恋人が百パーセント満足できる答えなんてありはしない。僕が過去の失敗から学んだ真理だ。だからもうこの手の質問には一切答えないことに決めている。
 誰の足跡もついてない新雪に去年の冬の誰かの足跡なんか探したって意味ないじゃないか。目の前の今年の新雪に最初の足跡をつけられるのは彼女だけなんだから。

 しかしロビンも頑固だった。
「どうして教えてくれないの?」
「恋人の過去を根掘り葉掘り訊き出そうとするなんていい趣味じゃないから」
 とうとう僕がそう言って渋い顔をつくって見せると、ロビンが顔を背け、すとんと僕の膝から降りた。

 もしかしてまた泣かせてしまったんだろうか。
「ロビン」
「パーティまでちょっと休むね」
 ロビンは僕を振り向くことなく、隣の寝室へ入ってしまった。僕は溜息をついて、閉まったドアを透視できないものかと無駄に念を込めて見つめた。
 こんなことなら二間続きの部屋(スイートルーム)なんかに泊めなきゃよかった。

 ロビンは今日、ベスの家で開かれるちょっとしたパーティに出席するため僕の家に泊りに来ていた。伯父家族が支援する若い音楽家たちに演奏の場を提供するという目的の、それほど気を遣わないものだ。
 いつもならロビンはベスの家に泊まるのだが、主催者の屋敷は人の出入りが多くていろいろ落ち着かないし、部屋を間違えた誰かが夜中に入って来るかもしれない。その点僕の家なら部屋なんていくらでもあるし何かあったらすぐに僕が飛んでいける、なによりも同じ場所から一緒に行く方が安心だという僕の説得で、交際開始以来初めて王宮のゲストルームに泊まることに同意してくれた。
 僕はロビンをエスコートできることでそれはもう張り切っていたが、他に色々と期待していたのも事実だ。その色々のあたりについてはロビンもそれなりに……前向きな姿勢にみえたんだけど。ついさっきまでは。

 楽しく過ごせる筈だった時間を一人でもんもんと過ごしてから、僕は自分の身支度を手早く整えた。ボウタイなんて目をつぶっても結べるが、できれば今夜はロビンに結んで欲しかったなと虚しく考えながら。

 ロビンの部屋へ迎えに行くと、彼女の身支度を手伝うように頼んだ女官のエレンが取り次ぎに出てきた。
「もう少しお待ち下さい」
「……彼女の機嫌はどう?」
 弱気になって小声で訊いた。エレンも小声で答えた。
「喧嘩なさったんですか? ちょっとお元気が足りないなと思ってたんです。それ以外は申し分ありませんからそうおっしゃって下さいね」
 そう言って彼女はまたロビンの待つ寝室に戻ってしまった。
 やがて、衣擦れの音が響いてシルクタフタのドレスを着たロビンが部屋から出てきた。
「殿下、いかがですか?」
 緊張で白い顔をしたロビンの代わりに、エレンが僕にそう言った。
「よく似合ってるよ」

 いつも洗いざらしの髪は柔らかく巻いてあった。化粧で煙ったような目元と合わせて何だかずいぶん大人っぽく見えた。
 ドレスは十代にふさわしく開きの少ないもので、どきつくないオレンジ色がロビンの日焼けした肌の色によく合っていた。
 今夜は――わおっ!――僕がこのロビンのエスコートだ。
「ではパーティには遅れずにお連れして下さい。お美しいパートナーをお美しいままにね。お化粧が崩れるようなおいたは駄目ですよ」
 エレンは僕にそう釘を刺してから、僕たちを二人にしてくれた。
 いまだに僕を子供扱いすることを除けば、エレンは本当によくできた女官だ。
「ロビン、綺麗だ。注意されてなかったら、めちゃめちゃになるまで抱きしめてキスしたい」
「なんだか落ち着かない」
「パーティなんてやめて、ずっと二人でいようか」
「ねえ、本当に変じゃない?」
 僕の提案は聞いてもくれなかったが、見上げた顔の可愛らしさに文句も引っ込んでしまう。化粧を崩さないようにそっとキスだけした。
「最高に素敵だ。誰にも見せたくない」
「……口紅ついてる」
 僕の唇に触れたロビンの指を甘く噛んだら、ロビンの頬に、緊張で引いていた血の気が戻ってきた。
 こんな顔を見るとゴクとマゴク(伯父の家の番犬)式の愛情表現がしたくなって困る。
「早く出て、早めに抜け出そう」

 ベスの家ではまず主催者である伯父と伯母に挨拶をしてから会場で知り合いにロビンを、いやキャサリン嬢を紹介した。ロビンは冷やかしと賞賛を浴び、その度に初々しく赤くなって相手を喜ばせた。
「ちょっと飲み物を取ってこようか」
 ロビンが扇子を取り出し、ほてった頬をあおいでいるのを見て、僕はそう言った。

 飲み物を取りにいったところで話の長い親戚につかまってしまった。グラスに浮かぶ炭酸の泡が消えていくのを眺めながら年長者のありがたいお説教を拝聴し、弁護士やカウンセラーが高額な報酬をもらえる理由に思い至った。つまり高額報酬でももらわなきゃプロでも耐えられないってことだ。

 戻るのが遅れた間に何が起こったのか正確なところはよく分からない。

 が、ベスが珍しく小走りで僕のところにやってきた。
「やあ、ベス。こんばんは」
「お話中ごめんなさい。ちょっとチップをお借りするわね」
 そう断ってからベスが僕の腕を引いてお説教から救い出してくれた。ありがたい。でもエドが機嫌を損ねそうだ。案の定エドがじーっとこっちを見ていた。
「ベス、エドが睨んでるよ」
「そんなことよりこちらにいらして」

 ベスが僕をひっぱっていったのは女性用の、上品に言えばパウダールーム、分かりやすく言えばトイレだった。
 廊下には中の様子を伺う数人の女性。中からはロビンの声が響いた。
「あなたは意地悪な魔女よっ!」

 廊下の女性達が忍び笑いを漏らしたのに一瞬遅れ、ドアの向こうから平手打ちの音がした。

 僕は礼儀を振り捨てて女性用トイレのドアを押し開け中に飛び込んた。
 そこで僕が見たのは、妖艶な美しさで知られるマダム・某が怒りに目を吊り上げ、自分の手を胸の前で押さえた姿だった。

 そして――ああ。
 僕のロビンは両手を握り締め肩を怒らせ、恐れることなくマダムに立ち向かっていた。

「マダム、こんばんは。ご機嫌うるわしくとはいかないようですね。僕のパートナーが何か失礼を申し上げたのなら僕からも謝罪しますが」
 ロビンが勢いよく振り向き、こいつは何を言うのかという顔で僕を睨みつけた。
「まずは彼女に謝罪なさって下さい。理由は何であれ手を上げるのはやりすぎです」

 マダムはしばらく口をぱくぱくさせてから、手を下ろすと聞き取りにくい声で謝罪の言葉を述べ、それから気を取り直し頭を振り上げて出て行った。廊下にいた女性達に何と言い訳するのか……いや、そんなことはどうでもいい。

「ロビン、大丈夫? ベス、何か冷やすものは」
「その前にチップ、あなたはここから出て行って。後で呼びに行くから、それまでに必要な人には挨拶して帰れるように準備して」
「ああ」
 僕は気もそぞろに、でも一応押さえなくてはいけない相手全てに挨拶をして、ついでにエドにベスと二人でいなくなった言い訳をしてから、再び呼びにきたベスに小部屋に案内された。

 ロビンはそこで、氷水の入ったパックを頬に当てて半べそをかいていた。
「ごめんなさい、フライディ。せっかく連れて来てくれたのに」
「ロビン、……ああ、ロビン。君は最高だ。最高のバディだよ」

 僕は不謹慎にも笑い出してしまった。
 それを見てベスがほとほと呆れたという顔をした。
「可愛い恋人を慰めもしないで笑い出すってどういうことなの? 本当にあなたと結婚しなくて済んでよかったわ」
「そうだね、ベス。エドにふざけたところはないからね」
「ええ、おかげさまで。本当にありがとう、チップ」
 これで何回目か、機会があるごとにベスは僕に礼を言う。僕は男としてちょっと複雑だ。そんなことを言うとロビンに怒られそうだけど。

「ロビン、挨拶は済ませたから帰ろう。頬を冷やした方がいいし、後は僕が君をひとりじめするよ」
 うきうきする僕を責めるようにベスが言った。
「エドが言ってたわよ。チップはキャットを連れて帰るためだけにパーティに来たんだって」
「もちろんその通りだよ。じゃあ失礼するよ、ベス。伯父さん達に宜しく」
「ええ、またね」
 僕はロビンをエスコートして屋敷を抜け出した。正面から帰るにはまだ少し早い時間だったから、ベスに裏に車を回してもらっていた。
 エンジンが暖まる暇もなくすぐ家に着いた。車を任せてロビンの肩を抱き、足早に彼女の泊まるゲストルームに向かう。

 部屋の扉を閉めてソファに座り、僕はロビンを膝に乗せ腕の中に囲い込んだ。
「さあロビン、何があったか話せる?」
「……あの人、フライディと……何度も楽しく過ごしたって」
「それで」
「お下がりで悪いわねって。だから私、信じないって言ったの。そしたらあの人今度は王子が子供に本気になるなんてとても思えない、もしかしたらからかわれてるんじゃないかしら、可哀想にって……」
 悔しさが甦ったのだろう。ロビンはぽろぽろと涙を落としてベスの家から握りしめたままのタオルに顔を埋めた。タオル越しにくぐもった声が続けた。
「確かに綺麗だけど、フライディがあんな意地悪な人の恋人だったなんて嘘よね?」

 ロビンはせっかくの化粧が半分落ちていたが、勇敢で愛らしく生意気で、そして、とてつもなく可愛かった。

 ときどきしゃくりあげて手の下で跳ねる頭を撫で、乱れた髪を揃え直す。
「ロビン。昼間の質問には僕はこれからも答えないよ。でも僕のことで意地悪された挙句に叩かれたお詫びに今回だけは特別に告白する。彼女は僕の恋人だったこともないし、寝たこともない」
「へっ?」
 ロビンが落ちたマスカラでパンダのようになった目をまん丸くして僕を見上げた。
「楽しく過ごしたって、何をして過ごしたとは言ってなかっただろ。せいぜい何度かダンスの相手を勤めたくらいだ」
 正確に言えば本気か冗談かは知らないがずっと昔に迫られて、危機一髪逃げ出したことはあるが、それは言わなくてもいいだろう。

 僕はロビンが大きく開いた目を覗き込んだ。
 やがてロビンは目を細くして拳を握った。
「どうして殴り返さなかったんだろうっ!!」

 僕はロビンを抱えたまま笑い転げた。
「ロビン、ロビン……君が勇敢なのはよく分かってるけど、殴らなくてくれて助かったよ」
「あんなこと言わせてていいの!?」
「いちいち、僕と関係があるってほのめかす女性の話を『この人の話は本当ですがこの人は違います』って言って回れっていうのか? やめてくれよ。聞いた相手が好きに解釈できるようなあいまいな話に正面から抗議したって、どうせウナギみたいにするっと逃げられるだけだ。無粋な奴だって非難された挙句、人前で恥をかかせたお詫びをしなくちゃいけなくなる」

 回りくどい言葉やほのめかしが剣と盾の代わりに交わされる場でロビンは「王様は裸だ」と口にしてしまった。いかにも子供のやりそうなことだ。
 だが、こんな子供にかっとなって手を上げたとあってはマダムこそ評判を落とすだろう。
 周囲に毒を吐いて回る彼女には確かに意地悪な魔女の役がふさわしい。彼女を知る皆もきっと同意してくれる。
 但し本人に面と向かってそう言えるのはこの勇敢なロビンくらいのものだ。

 ずいぶん前に真っ赤になって半泣きで逃げ出した少年の僕に教えてあげたい。
 君にはいつか素敵なジャンヌ・ダルクが遣わされるよって。

 ロビンが額を僕の肩に乗せた。
「フライディが王子だって分かった後で、色んなところで色んなこと書かれてたよ。しょっちゅう恋人が変わるとか、女の人が好きだとか」
「男の人が好きだったら君は困るだろ」
 僕がそう言ってまた笑ったら、ロビンがむっとした声を出した。
「どうしてフライディはいつもそうやってふざけるの。ちゃんと私の話を聞いて」
「ごめん、もうふざけないよ」
 僕はそう言って、できるだけ真面目そうな顔をした。
 まだ殴り返すロビンの幻が目に浮かんでは発作的に笑い出しそうになったけど何とか堪えた。

「ああいう人、たくさんいるの?」
「真実っていうのは噂よりも伝わりにくいものだよ。これからはそう思ってにっこり笑ってやりすごして。君の頬を犠牲にするほどの価値はない」
「でも、本当に本当の恋人だった人もたくさんいるんでしょう?」
「僕の悲しい失恋をそんな風に数え上げたくはないな」
「失恋?」
 ロビンが顔を上げた。僕はにっこりと微笑みかけて答えた。
「僕の評判はあくまで『理想の恋人』であって『理想の夫』じゃないからね。短期間付き合うには理想的でも、一生の相手にしたいとは思わないんじゃないかな。噂や嘘で僕の誠実さを疑ってる人もたくさんいるし」
 まあ全てがその範疇(はんちゅう)ではないが、中身によっては相手が誰だか分かるような理由もあるから、その辺は追及してほしくない。
「……本当に『いつも一人しかいない』の?」

 僕はやめた方がいいと分かっているのにどうしても誘惑に耐え切れず、申し訳なさそうな顔を作ってロビンに告白した。

「実は……一度だけ……婚約者がいるのに他の子にキスしたことが」

 虚をつかれたロビンが一瞬無表情になった。
 それから目を潤ませ僕にキスをねだるような唇を少し開き、我に返ったように真っ赤になって鋭く息を吸うと叫んだ。

「フライディの嘘つきっ!!」

「僕が嘘つきだって本当に思うのなら、最初から質問なんかしなきゃいいじゃないか」
 僕は少し拗ねたようにそう答えた。ロビンが更に声を大きくした。
「その嘘じゃなくてっ! ふざけないって言ったのにっ!」
 そう叫んで暴れるロビンを今度は笑いながら抱きしめた。
「ごめんね。僕にふざけるなって言うのは息をするなっていうのと同じだよ。この二十三年、聖職者のように過ごしてきたとは言わないけど、決まった相手のいる時に他の誰かと遊んだりはしてない」
「……本当に?」
「まだ疑うの? 婚約解消まで君を口説かなかっただろう? 『なのにどうしてキスしたの』って追及はするなよ。僕自身も未だによく分からないんだから」

 ロビンが急におとなしくなった。

「そうなの?」
「うん。確かめようと思っていつも君にキスしてるんだけど。未だに分からない」
 ロビンが誘うように目を閉じ顎を上げた。
 唇と唇を重ねると、ロビンが僕にぴったりと身を寄せてくれた。僕は深い溜息をついてから言った。

「それで……許してくれる?」
「ふざけたこと?」
「それから……」

end.(2009/05/01)

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