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行こう、城塞都市! 算術を知らざる者、受けるべからず

 その日の朝、二度目の時鐘とともに開かれた集会所の壁には、こんな依頼票が掲示されていた。

* * *

算術師(アリスマティックマスター)見習い修行

貢献度:

募集:
一から三人までのグループ、合計百組まで
内容:
与えられた算術・幾何の問題を解き、隠された宝を探す
謝礼金:
五リーブラ ※グループ参加の場合も人数分必要
受付場所:
中央広場のプラトンの立体が掲げられた屋台
終了までの時間の目安:
最短で二時間から制限なし ※完遂できなくても謝礼金は返納されません
修了証:
算術師(アリスマティックマスター)バッジ ※グループ参加の場合も人数分
その他:
算術を知らざる者、受けるべからず

* * *

 最後のメッセージはプラトンが開設したアカデメイア入口に刻まれていたという「幾何を知らざる者、くぐるべからず」のもじりだ。
 古代ギリシャでは算術と幾何は学問としてそれぞれ独立していた。このふたつに音楽と天文学を加えた四科が古代ギリシャでマセマティカと呼ばれ、現代でいう数学にあたるのだが、依頼票が数学師ではなく算術師となっているのは、数学の学位を表す「マスター・オブ・マセマティクス」に類似した名を騙(かた)りバッジまで作るのはまずいだろうという配慮からだった。

 この依頼票をさっそく手にしたのは、その日の朝オルチャミベリーにやってきたばかりのとある集団。年齢も性別も国籍もばらばらだった。
 彼らの共通点はただひとつ。数学を愛するということ。
 いや、それだけではなかった。彼らはみな、ずるずると長いローブをまとい、仮身分証を首から下げていた。ローブの下の、数学ジョークが書かれたTシャツも彼ら集合の要素と言える。
「まずどうするんだっけ」
「プラトンの立体が掲げられた店に行けってさ」
「あれだな」
 彼らは集会所を出て目の前の広場を見回し、分かりやすい目印を見つけた。
 ぽつんと立つ白いテントのひさしの横に、長い棒で串刺しにされた五種類の正多面体――それぞれが火、土、風、水、宇宙を表す――が掲げられていた。チップの力作だ。雨に備えて防水塗料で塗ってあったが幸い天気に恵まれた。

 ひさしの下には今回のイベントの仕掛人にあたる三人の姿があった。
 真ん中にいるのが主役であるアダム、両側に控えるのがハーヴェイとチップ。この三人が今回のイベントのブレインだった。
「……ぜったいあれハーヴェイが考えたんでしょ」
「頭韻を踏んだか」
「ていうか、駄洒落?」
 三人は、黒地に白で数字が散らされた「数学(マス)マスク」で顔の上部を隠していた。ハーヴェイの力作だ。センスはない。

 近づいてきた見習いたちに、マスクから出た口角を上げ三人が順番に告げた。
「知を磨く修行をうける者たちよ。ひとりずつ謝礼金と身分証をこちらへ」
「グループごとに、問題が十問と解答用紙を渡します。解けたらここへ持ってきてください」
「全問正解で修了証となる算術師(アリスマティックマスター)バッジを授けよう」
 これに応え見習いたちは謝礼金を添えて身分証を出した。
 三角形の刻印がひとつ打ち込まれた身分証と一緒に、グループごとに問題用紙の束と、解答用紙が渡される。
 受け取った問題に視線を落とした見習いが思わず声を上げた。
「まじで? 象形文字とか……しかも全部手書き?」
 別の見習いがそれを聞いて自分の手持ちの束をめくる。象形文字のかわりにこちらにはくさび型文字が書かれている用紙があった。それだけだと全問正解のハードルが高すぎるので、もちろん現代語訳も下に書かれている。
「え、待って。これ問題全員違うの? 千枚書いたってこと?」
「問題はすべてここにいる算術師アダムが用意しました。師のご尽力の賜物です。感謝しつつ受け取りなさい」
 チップは真面目腐った声で言った。見下ろすアダムの耳たぶが赤くなっていた。

* * *

 アダムは十四歳、中学生だ。オルチャミベリーの一角にある従業員社宅に兄とふたりで住んでいる。
 従業員社宅にいるのは兄の扶養家族としてだが、ふたりがここにいるのは兄ではなくアダムが理由だ。彼は原因不明の不調で、生まれ育った地域の中学校に通えなくなったのだ。
 いくつもの病院でたくさんの検査を受けたが、原因の特定はされていない。しかし症状ははっきりしている。学校に行くと頭が痛くなる、吐き気がする、肌がぴりぴりと痛くなり赤くなる。やがて自宅でも症状が出るようになった。不幸なことに症状を抑える薬の副作用がアダムには強く現れ、ベッドで横になる時間が増える。
 そんな時に彼と同じような原因不明の体調不良がここで治ったという話を知り、半信半疑でこのテーマパークに家族で遊びに来てみたら症状が出なかった。
 それが分かるや否や両親に代わってすぱっと前の仕事を辞めここに転職した兄オスカーに、アダムはとてもとても感謝している。

 地元の学校に通えなくなったアダムだが、このオルチャミベリーの小規模な学校には通えている。アンブレラスクールと呼ばれる、在宅教育(ホームスクーリング)の進度を監督し補助する学校だ。
 ここもまたテーマパークの施設の一部となっているので外から入れる場所は中世の建物を模し、ラテン語や数学、音楽、美術、体育などの授業風景が見られるようになっている。ここでそれらの授業を受けるとキャストとしてささやかながら給料が受け取れるという、非常に学習意欲の上がる仕組みがあるため出席率も高い。もちろん全員仲良しとはいかないが、同世代の仲間と会話ができ、分からない個所を質問できる教師がいる環境があることは子供たち自身にとっても、保護者にとっても大きな助けになっている。

 在宅教育の課題は多いし家電なしの家事に費やす時間もかなりある。しかし電気のないこの町では自宅での余暇の過ごし方は限られている。
 ソーラーバッテリーで充電したゲーム機や音楽プレイヤーは、バッテリーの残量がなくなればその日は終了、曇りや雨が続けば充電量が足りなくて遊べない日が続く。乾電池の取り寄せも続けばおこずかい的に負担だ。
 兄弟が多い家ではカードやボードゲームなどで毎日楽しむこともできるだろうが、昼間働いている兄をそう毎晩遊びにつき合わせることもできない。大きな動物相手の仕事はしっかり休養をとらないと危険なのだ。
 こうしてアダムは期せずして反省部屋に閉じ込められた王子と同じ選択をした。つまり数学で時間をつぶすことにしたのだ。

 まずアダムは数学の本から問題を書き写した。学校にあるのはテーマパークの時代設定的に古典数学の問題ばかりだが、電卓やコンピュータどころか後の時代に証明された定理もまだない、それどころかゼロや負の数、計算式の記述方法もない時代に様々な問題を作っては解いた昔の人の心意気にアダムはシビれた。シビれながら写し、頭が沸騰そうになったり吐きそうになりながら解き方を考え、写してはまた解いた。
 自分ではまだ解けない問題も、いつか解くつもりで写した。同じ問題が違う翻訳で書かれていることがあったため、原文も書き写すようになった。学校の本を全部写した後は、休みの日に兄とオルチャミベリー外の図書館に借りに行ったり、書店で取り寄せたりしてまた書き写した。離れて暮らす両親が数学雑誌の購読を申し込んで、アダム宛に届くようにしてくれた。
 手間を省く手段がつかえない子供特有の根気で、オルチャミベリーに来てからの三年間にアダムがこつこつ書き貯め、番号を振って一覧表にした問題の数はとうとう五千の大台を超えた。

 大台を超えたところでアダムはふと考えた。
 誰かにこれを見せたい。
 すげーって驚いてほしい。
 もしアダムがSNSのアカウントを持っていたら気軽に画像をアップして世界に向けてアピールできるが、ここは電波が飛ばない城塞都市オルチャミベリー。外部との連絡手段は兄が働く伝令所を経由する、昔ながらの紙を使った手紙になる。
 では誰に見せるか。

 アダムは目の前にある数学雑誌を手に取り、毎回数学をテーマにした企画を記事にするテクニカルライターのコラムのページを開いた。
 記事にはハーヴェイ・ハーヴェイと署名されていた。

* * *

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