行こう、城塞都市! 算術師ギルドホール(仮)
「よし、やつら閉じ込めるか」
「ハーヴェイ、その言い方は誤解を招くよ」
二日目もエメラルド・タブレットの食堂で朝食会議(パワーブレックファースト)が開かれていた。
メンバーは主催のハーヴェイとアダムに手伝いのチップ、それにキャットだ。今日はサラとオスカーは仕事で手伝えないそうだが、もともと雨予報に合わせて今日のイベントは屋内型で企画されていたので、ブローンの手伝いはほとんど必要ない。
といいつつ、たった今まさにキャットは脳(ブレイン)からの指示で動く筋肉(ブローン)本来の役割を果たしている。今日これから掲示される依頼票を書き換えるという単純作業だ。
キャットが黙々とペンを動かす横で、ブレイン三人もまたイベントの進行確認をしながらペンを動かしていた。
「残り六十八枚の依頼票が全部さばけたらすげえな、アダム!」
「う、うん」
「入園者自体が昨日より少ないから難しい。一般の参加者に疎外感をもたせないようにあれこれ考えたけど、今日の天気だとほぼ身内で回すことになりそうだ」
ハーヴェイの希望的観測に反論できないアダムに代わり、チップが現実的な予想を述べた。
しかし夢がひろがっているハーヴェイにチップの言葉は届かない。
「室内型は室内型で雰囲気あると思うんだよな。やっぱ暗闇っていろいろ見えないところが想像で補われる──っていうかネイピアのオンドリって書いた箱とか欲しくね?」
「ネイピアはまだ生まれてないぞ」
対数を発見し小数点を考案したわりにあまり一般には知られていない数学者の、さらに知られていないエピソードをネタにしたハーヴェイの提案をあっさり却下したチップは、笑顔になって続けた。
「でも雰囲気あるっていうのは同意だ。アダムが手書きで作った問題用紙、特に原文まで載せてあるのは最高の壁紙になるよね」
身じろぎして目を逸らしたアダムの様子に、キャットがこっそり笑いをかみ殺した。この年頃は大人に真正面から褒められると、さらに言えばそれを他人に聞かれると恥ずかしくていたたまれなくなるものだ。キャットもそうだった。
「じゃあ今日もきばっていこうぜえぃ!」
ハーヴェイがはた迷惑な声をあげた。
本当になんでチップをして『尊敬してる』と言わしめる才能の気配が本人からは感じられないんだろう、とキャットは内心で大変失礼なことを考えていた。
──こうして今日も、二度目の時鐘で集会場にはこんな依頼票が掲げられた。
* * *
算術師(アリスマティックマスター)見習い修行
貢献度:
▲
募集:
六十八人
内容:
与えられた算術・幾何の問題を解き、隠された宝を探す
謝礼金:
五リーブラ
受付場所:
ニコラス・フラメル・アーケード九十七番、算術師ギルドホール(仮)
終了までの時間の目安:
最短でニ十分から制限なし ※完遂できなくても謝礼金は返納されません
修了証:
算術師(アリスマティックマスター)バッジ
その他:
算術を知らざる者、受けるべからず
* * *
ニコラス・フラメル・アーケードは、建物と建物の間に石造りの屋根と柱がせりだした長い十字型の回廊で構成されている。都市を貫く目抜き通りからは一本入った位置にあり、並んだ間口の狭い店は早いサイクルで入れ替わるので最新の店案内を確認しないと目当ての店を探し回ることになる。
名付けの元になった錬金術師の人気にもあやかり常に賑わっているが、今日は雨もあってこの時間から、そぞろ歩きの来園客がお互いを避けながらビリヤードの球のようにジグザクの軌跡を描いていた。
天井まで立体的に飾られた土産物やここを出たら着る機会のなさそうな薄っぺらい中世風コスチュームが「私を見て!」「この出会いを信じて!」と全力で訴える道筋を進んだずっと先に、五色に塗られたプラトンの立体を目印にした算術師ギルドホール(仮)があった。
ホール入口の横、受付用の簡素なテーブルの後ろに数学(マス)マスクをつけ座るチップとキャットは、こちらを目指してやってくる集団に気付いて椅子から立ち上がった。
十数人でかたまってやってきた彼らの中にはキャットが初めて見る顔もあったが、ほとんどは昨日見た顔だ。ご存じファインアファインのメンバーたちだ。
「算術師(アリスマティックマスター)バッジを持っている方は依頼を受けなくてもギルドホールには入れる。再び修行を受けるということでよろしいか?」
「是(ぜ)」
旧知の相手でも、ロールプレイは崩さないのがこの都市のお約束だ。
チップとファインアファインのメンバーは真面目くさって依頼票と謝礼金と身分証の受け渡しをした。
「濡れたガウンは預かります。こちらへ」
キャットがクローク係を引き受け、出勤前のオスカーがすごい速さで組んでいったという丸太に打った釘に、預かったガウンをかけていった。
この手のイベントでしか着る機会がないため、消去法でお揃いになった数学ジョークTシャツ姿の見習いたちが、ドアをくぐった。
薄暗い室内に入った正面、両側の壁に挟まれた長い壁の端から端まで、目の高さより少し上から腰の高さまで隙間なく、手のひらふたつ分ほどの紙が貼られている。
昨日の修行を受けた見習いには見覚えのある問題用紙だ。
「修行をうける者たちよ、よく参った。ここに示された問題を解いて知を磨き、隠された宝を探せ」
ギルドホール(仮)の真ん中に立ち声を張るのはハーヴェイ……ではなくアダムだ。
変声期で安定しない声が嫌で、大きな声を出すのにかなりの勇気が必要だった。
でも二度目の時鐘が鳴る前にと大急ぎで問題用紙を張っている最中に、ハーヴェイとチップのふたりから言われたのだ。
「だってアダムが問題用意したんだし、ここに住んでるんだし、算術師ギルドで一番偉いやつってアダムしかいなくね? ギルドマスターからの挨拶ってあった方が良くね?」
「この形式なら規模を縮小して継続的に開催できると思う。やってみたいと思うなら今日どこまで自分だけでできるか試してみた方がいい。失敗したとしても今日なら身内がほとんどだし」
大がかりなイベントを仕立て打ち上げたハーヴェイは気軽に「またやろうぜ」とか言いそうだが、チップは最初から自分は手を貸しているだけ、主体はアダムというスタンスを崩さなかった。どちらも違う言い方でだが、アダムの自覚と成長を促してくれているのだと思う。
そうまで言われてしまっては、自分が恥ずかしいからなどというささいな理由で大人の後ろに隠れてはいられない。
アダムの初めてのロールプレイは手が震えたし声もうまく出なかった。
でもたぶん見習いたちはそんなことには気づいてもいないだろう。
彼らは壁に張られた問題の前に突進したくてうずうずしていたから。
ハーヴェイがアダムに続いて彼らに言った。
「好きな問題を一問ずつ選べ。十問正解で修了証となる算術師(アリスマティックマスター)バッジを授けよう。右から左へ難易度が上がる」
見習いたちは、角取りゲームのように壁の左角に殺到した。
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問題2997
百人の騎士が槍を持って立っている。
最初の太鼓で全員が槍を上げる。
次の太鼓でひとりおきに槍を下ろす。
次の太鼓でふたりおきに、槍を上げている者は下ろし、下ろしている者は上げる。
百回目の太鼓で槍を上げているのは何人の騎士か。
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問題7
3.14084<π<3.14286であることを証明せよ
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問題2637
壺の中に白い石と黒い石がいくつか入っている。
壺からひとつ石を取り出し、同じ色の石をふたつ加えて一緒に壺に戻す。
これを繰り返した時に次に壺から出すのが白い石である確率を求めよ。
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「ポリアってわりと最近の人だよね」
「ただし問題にポリアとは一言も書いてないからな」
「問題7知ってる。アルキメデスが証明したやつだ」
「ぐっ、これ手でやるんだよな」
「中世だからね!」
「あ、『除雪車問題』っぽいのみっけ。これもらい」
はがした問題用紙を片手に持ったカラムが、もう一枚の問題用紙に手を出したところにハーヴェイが素の声で怒鳴った。
「おいっ、一問ずつ選べって言ったじゃねーか! 面白そうな問題キープとかやめろ!」
「えー、いいじゃんハーヴェイ」
「よくねーよ。おまえらには隠された宝を探すっていう大事な使命があるんだよ。一日中にやにやして問題解いて終わりにはさせねえからな。とっとと十問解きやがれ──とギルドマスターがおっしゃっている」
「えっ!?」
突然キラーパスを回され、アダムが動揺して声を上げた。
* * *
紛糾するホール内とは違い、外のふたりは待機時間を和やかに過ごしていた。
「寒くない?」
「大丈夫。フライディは?」
「僕も平気だよ」
「イベント順調かなあ」
「君も参加してみる?」
「ううん! ううん!」
大きく首を横に振る恋人に微笑んでからチップが訊いた。
「僕の用事に二日間も付き合わせちゃったけど、退屈してない?」
「ぜんぜんそんなことないよ! その前に一日ふたりでいろんなことできたし、ここにいるだけで楽しいもの、ハーヴェイたちにも紹介してもらえたし」
熱を込めて訴える彼女の言葉が本心からであるのは間違いないが、付き合わせたチップの罪悪感がそれで全て拭い去れるわけではない。一時も離れたくないという自分の我がままだという自覚があるからだ。
そんなチップのやましさには気づかず、キャットは夢見るように言った。
「宝物、見つかるといいねえ」
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