魔法使いの弟子
天は二物を
魔法使いの弟子リターンズ 1

魔法使いの弟子リターンズ◆4

 鈴木は後頭部の毛が逆立った気がした。祥子が鈴木の背後に向かって答えた。
「ええ、新製品です。色んな味が一本に入ってるんですよ」
「お前、限定とかそういうの好きだよな」
 ちくっ。いや、ちくちくちく位か。鈴木は胸の痛みを測った。そんな鈴木の横を通って竜神が前に出て、祥子に手を伸ばした。
「くれ」
「オレンジはあげませんよ」
 祥子の口調にすねたような響きを感じて鈴木の胸のちくちくはずきずきに進化した。しかし次に竜神のとった行動は鈴木の想定外だった。

 ぽきん。

 軽い音がした。竜神がキャンディを包む紙包装を二つに折った音だった。

「はぁ」
 祥子が大きな溜息をついた。
「オレンジが好きならオレンジから食えばいいじゃん。ほら」
 オレンジのキャンディが顔を出す紙包装の片割れを、竜神が祥子に差し出した。
「竜神さんていつもそうですよね」
「何が?」
「人のものは俺のものみたいな態度のことです」
「もしかして怒ってる?」
 口調も人当たりのいい笑顔もいつもと変わらないが、祥子は少し怒っていた。鈴木には分かった。しかし鈴木と同じようにそれが分かっているらしい竜神は、からかうような笑みを浮かべていた。

 鈴木はずきずきする胸に手を当てたいのを我慢して、静かに自分の席に戻り、椅子に座って二人に背中を向けた。パイナップル味のキャンディは何故かいつもほど甘く感じられなかった。
 『秘密恋愛の醍醐味』が楽しかった分だけ、今の気分との落差は大きかった。
 二人の間に漂う親しげな空気にあてられたのもあるが、鈴木を落ち込ませた原因は他にあった。

 オレンジにたどりつくまで二人でキャンディを一つずつ食べて、オレンジを二個とも祥子にあげる、そんな小市民らしい幸せは、竜神のさっきの行動に比べてあまりにちんまりとしていた。竜神ならきっと同じキャンディを百本買って、オレンジだけを祥子が飽きるまで食べさせることもできるだろう。
 もちろん鈴木にだって同じキャンディを百本買うことはできる。それくらいはできる。でも竜神がああするのを見てそれを真似するのは、自分がそれを思いついてするのとは全然違うのだ。

 豪快奔放、そんな四字熟語が頭に浮かんだ。
 全然かなわない。学歴も経歴も外も中も、人としてのレベルが違いすぎる。
 なんだかくよくよする。

 その日以来、鈴木は三時にオフィスに戻らないよう気をつけてスケジュールを組んだ。もともと外回りの時間だから不自然ではない。システム監査は二週間と聞いていた。それが過ぎるまで鈴木が気をつけて、二人が一緒にいる姿を見ないようにすればいい。

 暑い日だった。六時前に帰社した鈴木は、席に戻る前に冷たい飲み物を買っていこうと自販機コーナーへ足を向けた。
「いいから俺のとこ来いよ。一生面倒みてやるよ」
 自販機コーナーの手前に並んだ観葉植物越しに、バリトンの声が響いた。

「ちょっと待って下さいっ!」
 鈴木の、よく持ち主を裏切る口が、勝手にそう叫んでいた。

 誰がいるかは見る前から分かっていた。鈴木が考えるより早く閃いたとおり、竜神と祥子の二人がそこにいた。祥子は片手に紙コップを持ったまま驚いた顔でこちらを見つめている。竜神は面白そうに鈴木と祥子を見比べていた。
「祥子さん、祥子さんは……」
 ここで格好よく恋人宣言やプロポーズや、そんな言葉を発すれば……でもできなかった。それはまるで竜神の真似というか、後追いではないか。
 結果、言葉につまった鈴木は酸欠の金魚のように口をぱくぱくさせるだけだった。

「竜神さん」
 祥子が鈴木の窮状から目をそらして(と鈴木には思えた)、竜神を見つめた。
「すごく魅力的なお申し出ですが、遠慮させて下さい。私には向いてないと思うので」
「もっと検討しろよ」
「いえ、気持ちは変わりません」
 竜神は軽く肩をすくめた。普通の男がやればわざとらしい仕草だが、竜神のは本場仕込みらしく自然だった。
「分かった。じゃあ俺はここにいない方がいいな」
 竜神はそう言って、自分の手にした紙コップを祥子に差し出した。祥子がそれを受け取ると、竜神は鈴木とは目も合わせずにその場を離れた。まるで相手にされていないということなのかもしれないが、微笑まれたりにらまれたりするよりも対等な立場だと感じたのは鈴木の思い込みかもしれない。

 祥子は両手に持った紙コップを少し眺めて、最初から自分が持っていた方を鈴木に差し出した。
「飲む?」
「そっちでいいです」
 鈴木は祥子が差し出したのとは逆の、さっきまで竜神が手にしていた方に手を伸ばした。竜神の飲み物を祥子に飲ませたくなかった。
「竜神さんの下で仕事しないかって誘われてたの」
「仕事……?」
「そう。仕事の話。あ! 鈴木さん、そういえば今日は七時から会議だって課の皆さんで仰ってませんでした?」
 いきなり祥子の口調が『三島さん』に変わった。鈴木も言われたとたんに予定を思い出して声を上げた。
「はい!」
「続きは後で。会社出る時に電話して」
 祥子がそう言って、小さく笑った。

前へ single stories 次へ

↑ページ先頭
 Tweet
inserted by FC2 system