一角獣と乙女 1

一角獣と乙女◆2

 翌日メイユール家当主であるシャルルの父がシャルルを連れ、結婚契約のためにやってきた。当主同士の契約に女は同席できなかったので、私はその間に乳兄弟のリュクを探しにいった。  剣では私の兄弟子にあたるリュクは、この時間はいつも城の中庭で剣の訓練をしている筈だった。 「カトリーヌ姫、怪我が治るまでおとなしくしているように言われていた筈です」  声をかけるより前に私に気付いたリュクが、不機嫌な声を出した。 「だからローブを着ている」  リュクの説教の機先を制した。いつものチュニックを着ていないので、剣を振り回しにきたのではないとリュクも納得したのだろう。まだ言いたいことは残っているようだったが、リュクはしぶしぶ続きを飲み込み、再び片手剣と楯を構えてからこちらを見ずに言った。 「フォーレのメイユールが、エチエンヌ卿を訪ねてきたようですが」 「ああ。メイユールの三男と結婚することになった」  リュクは左足を踏み出したところでぴたりと止まり、流れるような動作で最初の姿勢に戻って剣を鞘に収めた。それから私を振り返った。 「詳しく伺いましょう」  武器庫に練習用の剣と楯を戻すリュクについていって、昨日の話をした。剣を長持に納めたリュクは丁寧に蓋を閉め、楯を壁に戻した。それから深い深い溜息をついた。 「まさかそのようなことになるとは」 「やむを得ない事情だが、これでこの冬は薪と食料の心配がなくなった」  不意にリュクが、武器庫の壁に私を押し付けた。武人として鍛えているリュクに隙はないが、逃れるつもりもない。リュクが私を傷つけることはない。  リュクは私を正面から見据えた。 「あなたは、本当にそれで宜しいのですか? ご自分の身に何が起こるのか、本当にお分かりになっているのですか? そのような理由で商人の息子などと……」  私の返事を待たずにリュクは続けた。 「もっと前に、あなたを城から連れ出して差し上げるべきでした」 「騎士の誓約を破り、主君を裏切ってか?」  私の言葉に打たれたように、リュクが顔を歪めた。 「わが剣はエチエンヌ卿に捧げております。しかし」  リュクは続きを言わなかった。  ――瞳が何を告げようと、言葉にされなければ無かったことにできる。  やがて目をそらしたリュクに、私は感情を込めずに告げた。 「シャルル殿は騎士ではないので、狼狩りなど城の外向きの仕事では引き続きリュクの力を貸りたい」 「仰せのままに。……姫は、一生結婚なさらないと思っていました」 「私もそのつもりだった。だがどこかに嫁がされることになって持参金をつくるため父上に負担をかけるくらいなら、この方がよかったのだ。女の身では、戦で手柄を立てて家を盛り立てることもできないからな」  不意にリュクが片膝をついた。 「カトリーヌ姫、遅ればせながら、ご婚約のお祝いを申し上げます」 「ありがとう、リュク。これからもよろしく頼む」  差し出した手に、リュクが口づけを落とした。そして立ち上がり、こちらを見ずに武器庫を出て行った。  それからしばらくして武器庫を出ると、目の前にシャルルが立っていた。何故、と問いかける前にシャルルが自分から説明した。 「先程リュク殿が祝いの言葉をかけて下さり、カトリーヌ姫がこちらにいらっしゃると教えてくださいました」  そこで言葉を切り、少しためらってから小さな声で付け足した。 「私はリュク殿とカトリーヌ姫の間に割り込んでしまったのでしょうか」  シャルルは沈んだ表情で、でもしっかりと顔を上げて私を見つめて答えを待っていた。 「違う。――リュクは私の従兄にあたる」  従兄との結婚は教会で禁じられている。王族や高位の貴族の間では教会から特赦をうけ、いとこ同士で婚姻を結ぶこともままあるが、ふつう結婚相手としては考えられない相手だ。 「貞淑は、この契約で私から差し出せる唯一のものだ。あなたを裏切るようなことはしない」  シャルルはこくりとひとつ頷いて、かすかに微笑んだ。  シャルルとの結婚は、おおむね歓迎された。城の者は薪と食料を、領民は宴と式の後で撒かれる菓子を期待して祝いの言葉を口にした。  まだひげも生えない歳の、しかも商人の息子との結婚を揶揄する者も中にはいたが、腹を立てる気にはならなかった。私自身もおかしな取り合わせだと思う。しかし持参金もない貧しい領主の娘、女のくせに剣を佩き供も連れずに馬を駆る変わり者に、他にどんな縁を望めというのか。  フォーレの商人達は高価な布や銀器、珍しい異国の香など、次々と結婚の贈り物を届けてきた。城の建つ丘など普段は見上げることもなかっただろうに、今になってメイユール家だけが利を得るのではないかとあわてている様には乾いた笑いがもれたが、贈り物の中に何年も前に手放し二度と見ることはないと思っていた、モントヴェイユの紋章がついた金の指輪を見つけた時は胸を衝かれた。  結婚式の朝、五年ぶりに袖を通した新しいローブは体にも心にも重たかった。このローブも薪や馳走と同じくシャルルの持参金で整えられたものだ。一緒に身につけているのは、婚約のしるしに贈られた指輪だけだった。装飾品は薪や食料、壊れた城壁の修理のために手放してほとんど残っていない。  一角獣は乙女の膝でまどろみ捕えられるという。私も言い伝えのとおり、純潔を餌にしてシャルルを捕えた。言い伝えはその後の乙女について語らない。  ――乙女は、自分のために捕えられた一角獣にどんな思いを抱いただろう。そして捕えられた一角獣は、乙女を恨んだりはしなかったのだろうか。  父が私の部屋へやってきたのは何年ぶりのことだろう。髪を梳いていた侍女の手をとめさせて、入口まで父を迎えにいった。 「カトリーヌ」 「お父様」 「いつの間にこんなに大きくなったのだろう。そうしていると、亡きカトリーヌにそっくりではないか」  父がつらそうに私から目をそらした。この晴れの姿が父の悲しみとなることが苦しかった。  五年前、弟を産むときに亡くなった母は、父の心を悲しみで埋めた。それから父は自分の心を、悲しみだけを見つめて生きていた。 「これを」  気を取り直した父が私に差し出したのは、女性の横顔が彫られた水晶のブロシェ(ブローチ)だった。初めて見るものだ。 「カトリーヌのものだった。お前が使いなさい」 「……お父様、ありがとうございます」  震える手でブロシェを受け取り、両手で強く握り締めた。  針に刺された手よりも心が、ひどく痛んだ。  結婚式もその後の宴も、夢の中の出来事のようだった。遠くから自分を見つめるような時間が過ぎていった。  燭台を手にした侍女の先導で、これから夫婦で使う寝室へ向かった。獣脂ろうそくの匂いに、今日くらいは蜜ろうで作った香りの良いろうそくを用意しておけばよかったかとぼんやりと考えた時には、もう部屋に着いていた。    侍女が暖炉の火をかきたて、酒と杯を置いて出て行った。  崖の下で過ごした一夜で婚姻は既に成立していると見做され、床入りの立会人はいなかった。  シャルルが静かに訊いた。 「ご気分はいかがですか? カトリーヌ姫」 「よく分からない」  正直な気持ちだった。シャルルは何も言わなかった。  沈黙に促されて、私は再び口を開いた。 「父が……母のブロシェをくれた」  ローブの襟に留めた水晶の横顔を見つめ、顔を伏せたまま言った。 「そのとき『去年これがあったら、麦か豆が買えたのに』と思った。私は母の形見をそんな風にしか思えない娘だ。……たぶん、人として何か欠けているんだろう」  シャルルが前に立ち私の顔を見上げた。私は思わず失笑した。 「あなたは私より背が低いから、顔を隠すにはうつむいては駄目なのだな」 「背が低かったおかげで、姫様を娶ることができました。崖を上り助けを呼んだくらいでは、姫様は御手を預けては下さらなかったでしょう?」  シャルルは胸を張ってそう答え、真剣な顔で続けた。 「人は生きなくちゃいけません。生きるために食べなくちゃいけません。姫様は今まで人を生かすのに忙しくて、ご自分のことをお考えになることができなかっただけで、どこも欠けてなどいらっしゃいません」 「口がうまいな。次から次へとよく思いつくものだ。さすが商人の息子だ」  嫌味のつもりで言ったのに、シャルルはにこりと笑った。 「学校を辞めさせられた時は商人の家に生まれたことを悔やみましたが、今は父に感謝しています。見聞を広めさせてくれましたし、婿入りのための持参金も用意してくれました。実利がなければ指一本動かしませんが、父は決して悪い人間ではありません」 「婿入りにそれだけの実利があるとは思えないが。あれだけの持参金の代わりに得たのは、男のように剣を佩いても、父に代わり領地を管理する才覚もない年増の――」  不意に首に腕を回され、言葉が途切れた。 「あの金は私に店を持たせるため、父が用意していたものです。私の大切な奥方には、値などつけられませんよ」  シャルルがそう後を続け、私の口を接吻で封じた。

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