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フライディと私シリーズ第十九作
048◆Nothing Special(直接ジャンプ )
 
【 3 】
 
 釣り場には侍従達によって釣りの支度一式と日除け、それに冷たい飲み物があらかじめ用意されていた。さっき午餐を終えたばかりなので、軽食のピクニックバスケット(サンドイッチなし)が届くまで釣りをして、それからお茶にする予定になっていた。
 釣竿はちゃんと人数分あったがアンとベスは辞退し、堀の縁に並んだのは四兄弟とキャットの五人だった。アンとベスは日除けの下でくつろぎながら五人を見守っていた。
 
「ねえ、これは?」
「それは風で水面が波立ってるだけ」
 浮きが上下するたびにキャットは隣のチップに訊き、チップはそのたびに愛想良くキャットを失望させた。
「それは?」
 キャットの声に自分の浮きに目を戻したチップが、片手でさっと竿を立てた。釣り上げられた魚が尾で水面を叩いた。
「タモ」
 言われるより早く玉網を用意したベンが魚をすくい上げていた。エドが水を入れたバケツを横から差し出し、チップが魚から針を外してバケツに落とした。
「すごいっ!」
 キャットがぱちぱちと拍手をして、チップが笑顔を向けた。
「息ぴったりだねっ!」
 誉められたのが釣りの腕前ではないと知って一瞬笑顔を凍らせたチップだったが、今度はエドが魚を釣り上げ、また玉網を差し出しかけたベンのところにも魚信(あたり)がきたのに気付いて、ベンに代わって玉網を取った。
 
 チップ達が一斉に釣り上げた時にも魚信のこなかった浮きをただ見守るのに飽きてきたキャットが、チップに訊いた。
「ねえ、アートはお手伝い要らないの?」
 アートは兄弟達からは少し離れた場所で黙々と魚を釣り上げていた。玉網も自分一人で操っていた。
「大丈夫だろ。少しはハンデをつけてもらわないと逆に不公平だ。こっちは何年ぶりかも分からないくらいのブランクがあるっていうのに、アートは昨日の続きみたいな顔して釣ってるじゃないか」
 魚がいる気配はあるものの、一匹目を釣り上げてから魚信がこない浮きを横目でにらみながらチップが答えた。ベンが頷いた。
「ここなら思い立った時に一人ですぐ来られるから、アートはちょくちょく来ているな。お前は池に落ちて以来か?」
 ベンの最後の言葉で、キャットは不意に誰かに心臓を掴まれたような気持ちになった。
「キャット、きてるんじゃない?」
 エドに声をかけられたキャットは振り向いて竿を上げたが、水面に現れたのはきらりと光る針だけだった。キャットががっかりして声を上げた。
「餌とられちゃった」
「よそ見しないでちゃんと見てないと。餌を取られるならいいけど魚が針を飲み込んだら可哀想だよ」
 エドに注意されキャットがうなだれた。エドは何故か嬉しそうだった。
「昔から僕、言われるばっかりだったから嬉しいよ。キャットみたいな弟が欲しかったんだ」
 キャットが返事代わりに舌を出した。
 
「いいわね」
 少し離れた場所でアンがつぶやいた。
「アンも仲間に入ったら? 私のことはどうぞお気遣いなく」
 ベスはあの兄弟との遊びには数々の嫌な思い出があったので、仲間に加わりたいなどとはちっとも思わなかったが、自分が一人残されるのをアンが気遣っているのかと心配して言った。
「いえ、そうじゃなくて。キャットはいつでも自然にしているなあと思って。……嫌ね、私さっきからキャットのことをうらやんでるみたいな言い方ばかり」
 そう言ってから、アンは苦笑しながら続けた。
「またアートにたしなめられてしまうわ」
「でも、言いたいことは何となく分かるわ。決してキャットみたいに舌を出したいわけではないのよね」
 ベスとアンは顔を見合わせて微笑んだ。二人が身につけたマナーではあの兄弟の誰かに舌を出したり、人前で顔をつぶすような真似をしたり生意気な口調で言い返すことはありえない。しかし元はと言えば同じマナーを身につけている筈のチップとエドがからかいすぎるのが原因なのだから、無作法を責められるべきはキャットではなく年長で男性であるチップ達の方だ。
 そんなやりとりの時に王子二人がいきいきとしているのが見てとれるだけに、キャット以外には許されないその位置づけが少しうらやましくなるのはベスもアンも同じだった。
 
 キャットが念願の一匹目を釣り上げ、三人がかりで世話を焼いてもらう姿を見つめながら、アンが再びつぶやいた。
「私、きっと少し気後れしているのね。こうして王子達と一緒にいると私は――本当に私がここにいていいのかしらって、時々思ってしまうのよ。でもキャットはそんな風には見えないから……」
 そう言って、アンは我に返ってベスに詫びた。
「ごめんなさい。ベスは子どもの頃からこれが普通なのよね。こんなこと言われても困るわよね」
 ベスはアンの顔を見つめながらゆっくりと言った。
「そう思う? ずっとあの兄弟達のいとことして育って、私が気後れしなかったと思う? 多分、キャットより私の方がアンの気持ちがずっとよく分かっていると思うわ」
 ベスは幼少時からこの国でただ一人の生まれながらのプリンセスとして育ち、常に注目を浴びてきた。周囲からは何不自由なく育ったように見えていた筈だ。しかし生まれたときから傍にいた同じ年のチップにその場の主役をさらわれ続け、四王子の存在に圧倒されてきたベスの、自分に対する評価は周囲とは違っていた。
 もう少し年が離れていればベスも今のキャットのようなポジションにつけたのかもしれないが、その頃はまだアートとベンは二人がかりで弟達を従わせていたし、下の二人が騒げば誰もベスのことなんて気にもしてくれなかった。女のいとこがいてくれたらと何度願ったかわからない。
 長年のわだかまりは婚約解消をきっかけに少しずつほぐれてきたものの、いとこ達に比べて自分だけが地味でつまらない存在だと感じていたあの頃の記憶が全て消えることはきっとないだろう。エドと付き合って良かったと思うことは数え切れないほどあるが、そのうちの一つは、兄達に同じような思いを抱いていたエドと幼い頃の思い出を語り合えることだった。
 
 そういう相手がいないアンは、ベスに分かると言ってもらって意外そうで……でも明らかにほっとした様子だった。
 ベスにはアンが言わなかったことまで想像できた。王太子の婚約者という立場では同性の友人に愚痴をこぼしても嫌味にとられたり、歪んで伝わる恐れがある。かといって婚約を喜んでいる家族やアート本人に、今この時期に気後れするとは言いにくいだろう。そもそも男性、特にアートのようなタイプは『時々そう思ってしまう』というような曖昧な悩みを打ち明けるのには向かない。
「こんなことではいけないと分かっているのだけど、最近、人前に出る機会が増えてきたから余計に色々と意識してしまって。病気もあって長くひきこもっていたから、自分でも垢抜けないなと思うの。……私もうちの母もベストドレッサーというタイプではないしね」
 アンがまた苦笑し、ベスはあいまいな微笑を返した。
 確かに社交界にはベストドレッサーやファッションリーダーと言われる女性達がいる。彼女達はマスメディアにも多く登場するから社交界といえば華やかなイメージが先行しているが、実際にはそういった女性達は社交界でもごく一握りだし、彼女達の中に貴族は少ない。
 アンが属する貴族社会の基本的な考え方は『いかに財産を減らさずに子孫に伝えるか』だ。もちろん上質であることが第一だが、その場にふさわしく、なるべく長く着られて人々の印象に残りにくい服を選ぶことは貴族のたしなみといっても良かった。典型的な貴族であるアンの母、ベンシングトン侯爵夫人がベストドレッサーでないからといって、娘にそれを嘆かれる謂れはない。ベス自身が貴族の一員でもあるからそれはよく分かる。
 しかし王室の一員となるとそれだけでは済まなくなる。国の代表として外に出る機会の多い王室メンバー、特に王太子妃ともなれば、自国のデザイナーの服をできることなら上手く着こなして、夫である王太子、ひいては国の印象を良くして欲しいという周囲からの無言のプレッシャーがあり、それがアンを余計に気後れさせているのだろう。そのあたりの内情と、王室内外からの無言のプレッシャーの息苦しさは、ベス自身もよく知っているものだった。
 だからこそ、もしアンの気後れの原因の一つにそのプレッシャーがあるのだとしたら、ベスは将来の義理の姉の力になれそうだった。
「アン、差し出がましいと思われるかもしれないけど――
 
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