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068◆遅れてきた人魚姫1011121314151617181920212223242526
 
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 ベンはしっかりと縄ばしごを握りしめていた。踏みしめていた縄ばしごのステップがぐらりと揺れて地面から離れた後は、目を閉じて自分がどこまで上昇したのか考えないようにした。自分がつかまっているのがブランコの綱で、立っているのもブランコの座面だと想像すればいい。
 想像の翼をひろげれば何でもできるし何にだってなれる。ベンが本を好きなのは、表紙を開けば自分以外の誰かになって旅をしたり冒険をしたりできるからだ。時を越えて今はもうない国で過ごしたり、人間以外の生き物の目線で世界を見つめることもできる。
 成長するにつれジャンルを限定せずどんな本も読むようになり、一冊一冊の本が星座のようにつながることを知って更に面白くなった。
 今でもベンは心の中に自分だけの世界を持っていて、それを持たない人を可哀想だと思っていた。
 
 しかしまた、この想像力こそがベンの高所恐怖症の原因だった。
 
 ベンが幼い頃から繰り返し見た悪夢は、甲冑に身を包んだ自分が敵に追い詰められ、海に張り出た石造りのバルコニーの手すりを越えて飛び降りるという場面を詳細に描いたものだった。
 
 足の下は頼りなく虚ろで、体は加速をつけてぐんぐん落ちていく。しかし落ちている最中はまだいい。もう戻れない道を選んだことを後悔しているうち、体は地面よりも硬くなった海面に叩きつけられる。甲冑がぐしゃりと歪んで手足を、内臓を押しつぶす。継ぎ目から入ってくる水が残った空気を押し出してぽこりぽこりと泡になり海面へ昇っていく。その泡とは反対に体はどこまでも深く暗い海の底に沈んでいく……。
 
 夢がなぞる感覚と感情があまりにリアルなので、ベンは一時期これが自分の前世の記憶ではないかと真剣に悩んだ。当時の家庭教師が悪い影響を及ぼしていたのだと気付いたのはずっと後の話だ。
 
 王家にとっては国と王朝の存続、血筋を絶やさないことが最優先される。ゆえに安定した王朝では後継ぎは本人の資質より伝統的な長子相続が大原則となる。王族同士が王位を争うのは国が荒れる元だからだ。
 ベンたちの父王デイヴィッド三世はその大原則の例外として、第二王子から王太子になった。第一王子である兄のアンソニーが立太子後に発作性の病気を発症し、王位継承権を放棄して王太子の座を弟に譲ったためだった。しかしアンソニーがそれまであまりによくできた王太子だったせいで、デイヴィッドは常に前王太子と比較され、王宮内のアンソニー派とデイヴィッド派の間で目に見えない確執が生まれた。
 デイヴィッドはレクサングロム朝第十四代国王として即位した当初から、両派のどちらにも肩入れしすぎないよう困難な舵取りを強いられた。デイヴィッドの息子である四王子とアンソニーの娘、ベスとの結婚話もこの王太子交代に起因していた。アンソニーの血筋を本流に戻しそれぞれの派閥の融合を図るのがその目的だった。
 
 ベンは兄である王太子アートと一緒に、思春期を迎えるまで城内で一般教養とともに帝王学の教授を受けて育った。
 ベンにとっての不幸は、家庭教師がアンソニー派だったことだ。第一王子であるアートに国王派の教師がついたから、パワーバランスを均等にするため第二王子にアンソニー派の教師がついた。
 教師は王位継承順位が何のためにあるのかを、そして第二王子のあるべき姿について自らの信じるところを教授した。ベンはどこへ導かれているのか気付かずに疑いもなくその一言一句を素直に受け入れてしまった。
 
 王太子と同じことができなくてはいけない、しかし王太子を押しのけるような真似をしてはもちろんいけない。常に王太子を立て、陰で支え、いざという時には兄のために自らを犠牲にすることも厭わないのが弟王子としての義務だ。
 教師は繰り返しそう教え込む過程である日、兄である王太子を逃がすため兄の甲冑を着て身代りに海へ飛び込んだという弟王子の、何百年も前の逸話を語り、これこそ忠義を尽くした振る舞いだと語った。
 その晩から、ベンの悪夢は始まった。
 
 繰り返し見る悪夢は、ベンに声を上げる余裕も与えてくれなかった。夜が来るたび、今夜また同じ夢をみるのではないかと怯えた。起きている時間も、ふとした瞬間に自分の弱さを思い出して身がすくむ。
 公式行事でバルコニーに出て集まった国民に手を振る時も、なるべく縁から離れていたかった。口うるさいが面倒見のいいアートがいつも弟たち三人まとめて『身を乗り出すな、縁にもたれるな』と下がらせたのは、おそらくベンの顔色に気付いていたからだろう。弟たちも何となくそれを察して従っていたのではないかと思う。(もっともチップはアートが見ていない時にわざと後ろ向きになって反り返ってみせたりして、後で写真を見たアートに怒られたりもしていたが)
 子どもの頃からアートが人一倍威厳のある王太子らしいリーダーぶりを発揮してくれたおかげで、ベンがアートより一歩退いて陰のように従うのも不自然にはみえなかった。ベンはそのままの立ち位置で大人になった。
 
「あなたたち、いったい何をしてるの」
 斜め上から降ってきた声に、ベンは目を開けた。
 開いた窓の向こうにトリクシーの仏頂面をみつけて、ベンは思わず微笑んだ。
「あなたに会いにきた。話がしたい――ちゃんと最後まで」
 
「大げさな真似はやめてよ」
 トリクシーが珍しく慌てていた。照れているのかもしれない。
 ベンはまた微笑んだ。今なら長年の高所恐怖症も克服できるかもしれない。
 試しに足元に視線を落としてみた。
 はるか下の崖際を洗う白波が、青い蒼い海をレースのように縁取っていた。
 夢で見た光景だった。
 
 思わずよろけてたたらを踏んだベンは、片足ではしごのステップを踏み外した。
「キャット、今すぐこの人を降ろしてっ」
 トリクシーが鋭く叫んだ。
 しかしキャットは、チップにそっくりな人の悪そうな微笑みを浮かべてのんびりと答えた。
「それより塔に入れる方が早いんじゃないかなぁ。私の役目はベンを届けてはしごを切り離すことなの」
 キャットはさりげなくはしごを固定した金具に手をかけた。
 トリクシーは不機嫌の極みという顔をした。
「誰が思いついた計画か想像ついたわ。――チャールズ殿下に密航の借りはこれで返したと伝えて」
 そう言い捨てたトリクシーは、窓の高さまで持ち上げられたベンの足先をつかみ、乱暴に手前に引いた。
 
 ベンは目を閉じ、はしごにつかまったまま、足からずるずると塔内に引き入れられた。
 
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